65歳からを最高に楽しむ身軽な生き方 山崎武也著 |
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2018年 01月 17日
もう、この手の本は卒業したいと思うのですが、つい、手に取ってしまいます。取れば取ったで、感じるところ、なるほどと思うことは、多いわけで、参考になります。
<抜書>
これからは、「本当に大切なこと」にエネルギーを注ぐ ・昨今は国の内外における政治や経済の表舞台でも.理不尽なこと、すなわち非人間的なことが横行している。だが、そのようなことと真っ正面から対決するのは、「年寄りの冷水」になる。批判的に見て「正道」を主張し続けるだけで良しとする姿勢のほうがいいかもしれない。 ・目の前や近くにあるものを、1つずつ丁寧に心を込めて着実に片付けていく。その過程が人生である。 ・とにかく入ってくる量を制限するのが、人生をシンプルなものにする第一歩である。また入ってくるものも、その質をよく吟味した上で良質なものに限るというのが必須の条件の1つだ。 ・年をとったときには、清らかさを身につけていく必要がある。欲深くて脂ぎった老人は、見るからに不潔だ。佇まいや行いが清らかで、貧しいというと語弊があるが、金のにおいがしなくて現在に安んじている風情の人がいい。いわゆる清貧の趣になると、このうえない。 ・だがローンを組むというのは、やはり私としては、バクチ的な匂いの強い行為として排斥してきた。極論すれば、銀行、建設、不動産などを始めたする業界が儲けようとして「陰謀」にも近いことをしていると言ってもいいくらいだ。金を借りて住居をという大きな買い物をする人のことなど、「親身」になって考えているはずがない。 ・食べ放題は、金銭的に得をしたような気になっていても、身体にとっては無理をして酷なことをする結果になっている。たとえ単価的には高い食事という結果になったとしても、健康という優先順位の高いことにおいて得をしたと考えるべきだ。目先の欲につられて自分にとっての本当の意味での損得を見誤ってはならない。 ・仕事の第一線から退く年齢に達したときは、もう「修行」するのもいい加減にした方がいい。これまでの修行の果実をある程度は享受する道を進んでいく。それが「完熟した人」の処世術であろう。 ・現在の自分は自分以上にはなれないが自分以下にもならないことを銘記すれば、無理をする必要がないことがわかり、現在の自分自身に自信がついてくる。先人たちの築きあげてきた科学や哲学の助けを借りて、想像をたくましくすることはできる。それは大宇宙を自分の中に呑み込んだことにもなるのではないか。そう考えると、自分の「偉大さ」にも思い至る結果になる。 ・さらに、日々の生活の中で起こっていることに対しては、自分の「人生の一部」であると考えれば、そのまま受け入れることができる。その善悪や好き嫌いについて判断しようとするから心が乱れるのだ。 ・もっと気楽に構える必要がある。人と比べるから、のんびりできるところであるにもかかわらず、競争心を燃やして必要以上に頑張ろうとするのだ。なにをするにしても 、自然な動きに自分の動きをまかせて「淡々」とした姿勢を崩さないことだ。死活問題が生じたとき以外は「自分の辞書に頑張るという言葉はない」といい切ってみる。 ・茶道の場合は「対人」という他の人に対する思慮の要素が非常に大きいからだ。自分勝手にするのではなく、常に自分が接している人に対して、その人の気持ちを察しようとする。その上で最高の時間の流れを享受してもらおうとする心がけがある。 ・ココロの部分を磨くために「目にみえる」カタチを美しく機能的に作り上げた。したがって、カタチをルールに従って作っていけば、自然にココロがそなわり、そのココロが人に伝わるようになっている。ココロだけをいくら教えこもとしても、体の中にあるココロには届かない。 ・人間の記憶力はそれほどでもないので、何か記憶すべき場に臨んだときはメモに記したり写真に撮ったりしようとする。きわめて自然な考え方である。だが問題はそのようにすることによって、目の前に展開されている事柄やものをきちんと見ようとしない点にある。せっかく現場にいるにもかかわらず、「間接的に」見るのではもったいない。そこでは知識の吸収はしたことになっているかもしれないが、「実体験」において欠けたところがある。 ・時が経過すると記憶が錯綜して訪れたところ思い出せないこともある。だが、それはそれだけ印象が深くなかったという証拠でもあるので、忘れてもいいのではないかと思っている。自分にとってはそれほど重要なことではなかったので、記憶に残っていないのだ。 ・本来は自然に需要が生じそれに対して供給がなされるという流れのなかで経済活動が活発になっていく、という形が望ましい。それを「国権」で無理やりに実現しようとする。政治による経済の支配である。当然のことながら、経済の流れにギクシャクしたところが生じる。確かにそのような流れの中で利益を手に入れ潤った企業や人たちがいる。だが一方で、善良なる市民は「なけなしの金」を使わされるはめになる場合が多い。一般的にみれば、経済効果は人々の生活の質の向上に資するところは少ない。我の景気が良くなった錯覚に陥るだけで、幸せな度合いが進んでいないのだ。 ・また何か新しい流れが起こったとき、まずは国や業界による陰謀ではないかと疑ってみる。「老人のため」と言っていたら、もしかすると福祉の向上に関わることかもしれないあるだが、「シニアのため」といったら、年寄りに消費させカネを使わせようとしている公算が大きい。 ・自分がなんとかコントロールできるのは「現在」だけである。したがって、人生を有意義なものにするためには、「今」という現在にもっと集中したほうが得策であろう。 ・「今」をもっと丹念に観察してみると、これまで見失っていたものや軽視していたものが見つかる。ついに目先の楽なこと、一見したところ利があるようなことに目を奪われて、大切なものを多く見逃している。・ひとばかり見て自分を見ていない人が多すぎる。 ・掃除などの家事をするときであれ友人に頼まれたことをするときであれ、その時点では誠心誠意そのことに集中してベストを尽くす。自分がしていることに、つまらないことがないと考えるのだ。自分はベストを尽くしたのでいい結果にしかならないはずだという自信に基づいた、「高度な刹那主義」を信じるのだ。 ・「利用できる人」よりも「利用してくれる人」と付き合う。これまでお世話になった社会や人々に「恩返し」をするという意識も必要になってくる。 ・どんな行為であっても、人間としての感覚には必ず訴えるところがある。その度合いが人によって違うだけだ。相手がどんな人であっても、その「人間性を信じ」て、自分ができることをして役に立つことを実行してみる。 ・また年をとってから旧悪が問題になることがあるかもしれない。当時の時代背景や若気の至りなどと様々な理由があったとしても、言い訳などしないで潔く謝るのがいちばんだ。
by nandemokoukisin
| 2018-01-17 14:14
| 読書ヒストリー
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