5mJOG 横山晃氏 舵 1966年12月号 |
なんだか、熱気だけは、あったあの頃、もう還ってこないよな・・・・・
断捨離していたら、こんなのが見つかりました!!
ああ〜、熱き青春は、どこに行ってしまったのか?きっと、いい意味で蒸発しちゃったんだね(笑)
仁尾マリーナは、陸からしか行ったことがありませんが、良いところですね!!
緊急事態宣言が解除されたら、ぜひ、お邪魔したいと思います。
よろしくお願いします。
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2017年 09月 10日
ヨット設計家 横山晃氏の文章の中でも、一番大好きな、青年期に大きく影響を受けた一文をテキスト化しました。
あの頃の思いが蘇り、この体たらくに、少し反省ですね。 自分の智性とスタミナの限界に向かって挑戦せねばならない。そして孤独に耐えて自立する要求に迫られる。 野生の勁物のように.生き生きと楽しむことが重要ではなかったのか? 5mJOG 横山 晃氏 設計以前の問題 紺碧の初夏の淘,真白に砕け泡立つシケの海、鉛色の冬の海一一そしてバラ色の夕暮,青白い夜光虫以外は真黒に迫りつふされる夜.ミルク色の朝一海には限りない変化かある。その多様な変化の海に魅せられた∃ットマン達が,単純な一様の進を踏むはずはない。 セーリングの多様性を陸上にたとえれば、ヨチヨチ歩きから始まって、散歩,ハイキング,トラック競技,競歩,登山,探険などの,足のスボーツのすぺてに匹敵する広範囲だが「強くなろう!」というすべてのスポーツマンに共週する願望は,すぺてのヨットマンにも例外ではない。特にセーリング入門の発端に存在する<人間の自由な行動範囲を陸上から海上に拡大しよう!>と云う強烈な意欲こそ、ズボーツの基本的な要求であろう。 スポーツカーやジャット戦闘機と共通の魅力を持つレーシング・ディンギーにビギナーか興味を持つのも<悍馬を乗りこなす至難のテクニックに挑戦したい>という本能ではなかろうか。 誰でも海へ乗り出して行く最初の時期には,人間と船と科学と過信するけれど、海の現実は人間の一方的な挑戦を許さない。まず第一に風向も風力も波浪も,人力では制御できないのだから。人間は好むと好まざるに関わらず,大自然の変化を予測して方針を立て,大自然に適応するテクニックを武器とせねばならない。 科学の力で大自然を制圧するのに價れている文明人にとって,大自然に妥協して順応するのは大変苔痛なのだが、海の現実の前に人力の限界を知らされ,≪科学迷信>は打ち破られる。そして,もっと複雑で柔軟な智性と人間性の必要を知らされる。 そこでヨットマンは自分の智性とスタミナの限界に向かって挑戦せねばならない。そして孤独に耐えて自立する要求に迫られる。 一部のヨットマンはここまでも到達せずに「イカス」と「カッコイイ」の段階で右往左往を繰り返すのだか,それは論外としよう。 このように<自己への挑戦>に到達したヨットマンには次の課題として,大自然を鏡とする方向と、競技の社会を鏡にする方向と.2つのうちのどちらを目指すかという岐路が持っている。 一般の人々は,鬼の大松か東洋の魔女を銀え上げたような強制的トレーニングだけかスポーツの正道で.大自然を相手として人間社会から離れて行く行動を逃避的と見るのだが,私は逆なように思う時がある。 一橋大・漕艇部OBのS氏は、小兵なのに巧な漕法と力量とを持つ素敵なオアズマンで≪スカル独漕の遊びこそ,最も効果約なトレーニングだ≫と主張し続け、ともに飲めば真冬のの真夜中の胴田川に小便する水音に、無精に漕ぎたくなって、独りで艇庫からスカルを出して,永代橋まで漕ぎ下った思い出など彼自身をベテランに鍛え上げた真剣な遊びの話が尽きなかったが、当時の漕艇界には彼の意見に耳を傾ける人は無く、メガホンで叱咤激励する一律トレーこングだけが漕艇練習の正道とされていた。所がその後、世界選手権に輝くドイツの名監督ウィプケ氏を招いて講演を聞いたところ≪スカルこそ水に親しむ近道、水に親しむことこそローイングの基本であると強調していた。 私のセーリングも若い頃に日曜毎.早朝から日没までただ一人で海に暮らしたた2〜3年間に最も上達した。 私自身は決してトレーニングという態度ではなく,野生の動物のように気ままに振舞い,隠やかな日には夜ながら足で舵をとるうちに、何も見なくても風の変化や波のリズムの変化.他船の動静,天候の変化などを,虫や獣と同様に感知するようになり、セールは鳥の翼のように身体の一部となった。また、逆潮逆風に挑む何時間もの戦いの中でら、野性感覚と力量は鍛えられたに違いない。だが私は自分の上達には気づかず、人にすすめられて神宮競技に出場し,レースの要領を知らず、マーク回航の順序も聞かずに闇雲に走り出したために敗れはしたが、セーリング・スビードでは大概のヨットマンを追抜けることを発見した。その後,私はレースの要領を学ぶために学生達のトレーニングの仲間入りをしたのだが、その時期には次第に下手になった。 スポーツ界の権威筋は「遊び人ロか増しても,スポーツの国力は同上しない」と称して,大自然の中へ去って行くスボーツマンを競技場に引き戻すのに懸命なのだが,それが果して強くなるために有効だろうか? スポーツ界の権威筋は「遊び人ロか増しても,スポーツの国力は同上しないJと称して,大自然の中へ去って行くスボーツマンを競技場に引き戻すのに懸命なのだが,それが果して強くなるために有効だろうか? もっと遡れば、競技に強くなることだけが,スポーツの目的なのだろうか?それより?、野生の勁物のように.生き生きと楽しむことが重要ではなかったのか?強くなりたいという願望の本質は、競技慣れではなく逞しい野生ではなかったのか? ともあれ,日本のヨット界にも毎年1万人近くの(或いはそれ以上の)新人が入門し,そのうちのかなりの部分が,Y15,シーホース、シーラス,スパロー、K16などの多用途デディンギーに一応は定着して,その人口はヨット界の大半を占めつつあるのだか,その定着は無限に続くものではなくて.数年後或る人はレーシング・ディンギーヘ,また或る人はクルーザーヘと狙いをつける。しかも競技を志す人よりも遠走りを志す人の方か圧倒的に多いのだ。 かくて,クルーザーを狙うョット人口は数千人と云われるのに,実際の移行は遅々としているのは何故か? 第1の理由は船側とユーザー側予算の不釣合いなのだ。日本のJOGの大きさとして最も集中的に増加しつつある7、5m艇の船価が2〜3百万円なのに対して.多用途ディンギーから進出しようとする人達の大多数の予算は50万円止まりり(30万なら楽に捻出でき、無理算段しても50万か限度)なのだから。5〜6倍の開きは歩み寄りの範囲外なのだ。大体が,20〜30万円の多用途ディギーから、2〜3百万円の予算へ,10倍の増資を狙うこと自体か無理なのだ。株式会社の増資だって2〜3倍までが常識なのに。 第2の理由は「カメラを持つなら局限カメラ」と、誰も彼もが大ロ径カメラを無理するのと同様の,日本人特有の見栄張りとオールマイティー好みなのだが,結局、この第2の理由が,さきの第1理由の発埴なのだ。 さきに辻堂加工KKが発売したFRPのJOG,赤城,ドングリ・クラスの企画の出発点は、この第1理由の解決にあったのだか,企画の途上に第2理由の大衆嗜好の方向へ妥協したために50万予算の枠外にハミ出し,ついに百万近い船価となったのか、量産態勢に乗りかねた最大理由と思う。 ところが最近.一郎の賢明なヨットマン達は,私が説得するまでもなく、イヤ,逆に私を引きずるようにして,この問題の解決に乗り出して来た。 多くの人々とディスカッションし、手紙の往復も統いたが,彼らは例外なく野性的で,ヒューマニストでロマンチストだったが,決して夢想家ではなくて実行家だった。しかも立派な見識を持う真のインテリで、私が大好きなタイプの人々だった。 一例を挙げれば, 「私はxx大学院で人文地理学を専攻している30歳の学生で日本領土のあらゆる地域、島々の巡検、南は奄美の与論島.北はオホーツク海まで、1人旅の地理学の足を欲しています。…建造費だけでなく,維持費や航海費も必要なので,船価は30〜40万円か限度です。そのよぅな制妁のもとに,積載可能重量は?一一波酸性は?安全のために必要なスピードは?…外洋の波浪中でのロデオ的モーションによるスタミナの消耗は覚悟の上です。それでも、今までのスナイブの中での寝起きに比ぺれぱ極楽でしょう。小生も御多分に洩れず,進水の日から次のフネか欲しくなることでしょう。けれど、私には2年や3年で次の船を買うほどの資力は無いのですから艇の寿命は長いことを望みます。最初は畜産を学び,現在も牧畜と動物生態地理を研究テーマとし,民族地理にも関心を持つ私は狩猟も大も愛しているので、愛用の2連銃と弾薬の置き場所も艇内に欲しく.書籍もなるぺく積みたいのです。私の旅は何も急ぐことはないのです。<航海とは待つことなり>でよいのです。急ぐ旅ならば何もヨットを使わなくても、汽車,電車、パズ,定期船を利用すれぱよいのです。<海路の日和を待つ>ことによって各地の風俗や習慣を見ることかできると期待もします」 * * ちょうどその時、私が新設計に踏み切る動機となったのが,鹿島郁夫氏の強引な設計依頼の申込みだった。 鹿島氏は1961年にも,強引な設計依頼で私をキングフィッシャー設計に踏み切らせた奇縁の人なのだ。 その時の申込条件は、奄美大島やハ丈島の海域で5ケ月ぐらい海上に生活し,海底撮影の母船とするための帆船で,積載重量は約50D瓩,建造予算は約40万円だったが,後で聞けば、この条件は太平洋横断計画をカモフラジ,する苦肉の策だったそうだ。 その頃の彼はセーリングに関しては殆んどズブの素人に近かったのによくも見事な術策でこの私を引き廻し得たと感嘆する。しかもその年,彼は単身で姫路の的形から紀伊水道、土佐沖、九州の外側,瀬戸内海と一巡する試験航海を政行し.翌年には若いクルーと一緒に沖縄航海に出て,沖縄を目前に見る与論島で旅券交付を侍ったかついに果せなかった。 その俊,堀江唯一氏に先を越されーーしかも同型の5号艇で一今度は合理的な旅券問題解決法と,大西、太洋,両大洋横断を目指し、1965年、≪コラサ≫号はイタリアのジェノバまで汽船で運び,地中海、大西洋に6,500哩の航跡を残して7月13日ニューヨークに到着,くコラサ>号は陸路ロサンゼルスに運び、翌年1966年5月には太平洋横断に出発したのだが,サンターバーパラの岩礁に乗り上げて舶は大破し,彼の命だけか助かった。 そこで、今度は16呎艇でロサンゼルスからの再挙を計画した彼は,急拠日本へ舞戻って,早速私の事務所に現われたのだった。「16呎という計画の根拠は何なのですか?もし,小さい方の記録づくりということだったら、残念ながら私はNORCの安全委員長なので,命を張ってイチかパチか・・…などという計画には協力しにくいのですか・・・」と,私は先手を打ったが、彼は「それは記録つくりのためではなくて、純然たる経済的な理由です。「コラーサ号という財産を失った私が、ナケ無しの資金で斬艇を造り、しから海上運賃を掛けてロスまで運ぶ費用も掛ります。16呎というのは,冷酷な銭勘定の結論なのです」と答え、「そこで,その計画か技術妁に成り立つか否か.貴方の意見を聞きたいのです」と,彼は切り込んで来た。 私は内心、その彼の言が100%真実だとしても,世間が、特にマスコが、「小型新記録を目指して-」などと騒ぐだろうことか気かかりだった。そのためにも,彼の生命のためにも,もう少し積載力のある艇に変更させたかった。だが.このように開き直って正面攻撃を受けては,私は医者と同様の、嘘や術策を許されない立場に追い込まれていたのだ。しかも、太平洋横断に未経験の私が,大西洋横断の経験者に対して,頭ごなしの説得もできない。 私は技術者としての、真剣勝負の場に立だされていることを意識した。 16呎だからと云って、シーウォーシネス(凌波性などの耐蝕能力)は絶望と断定する根拠はなく、それとは逆に,成功の確率を裏づける多くの先例があった。 フネは,小型であるほど波浪に対する強度と軽量化に恵まれる。その極限はビンポン玉だ。等々-。 結局.最大の問題は積載重量と人間のスタミナとの兼ね合いの問題だった。 私は急いで設計計画の輪郭の検討にとりかかった。私はまず、鹿島さん以外の,前述のような私の大好きなタイプの人々の船を考えた。それは鹿島さんに対する背任ではなくてより多くのケースを想定して、何らかの意味での必然性と合理性を引き出すことが,鹿島さんに対して最も忠実な道と考えたからだ。私は10分間、計算尺をせわしく動かし、海勘(山勘よりも通かに科学性と的確さを持つはずの海勘〕を駆使して,「積載重量は200瓩」と答を出した。 「貴方の体重を合めてです。ジャリトラのように,2倍もの超過積載をするのは自殺行為ですよ、隠やかな出港のときに超過しても,せいぽい280瓩まででしよう。それで貴方の計画は成り立ちますか?」と,今度は私が逆襲した。ところが鹿島さんは因るどころか超然として、得たりとばかり、「私ほ小柄だし,食わなくても飲まなくても生きられる特殊体質の持ち主です。それは大西洋横断の時に経験済みです。一般の人にはできないことでも,私にはできるのです」と言い切った。 私はまたもや押し切られたのだ。 鹿島さんは、あくまでも運の強い人なのだ。もし前述のような,小型JOGを必要とする日本ヨット界の現状が無かったら.また,もし前述のように私を引きずり起す好ましい先覚の人々無かったら,おそらく私は小型JOGについて考える機会か無く,鹿島さんが如何に超人的な強引さで申し込んで来ようとも,意慾を持たない私は拒絶したに違いない。だが,鹿島さんかはたして本当に運が強いのか否か,本番の勝負は来年(1967年)なのだ。 Ⅱ 設計 基本設計は,このようにして初めは処女の如く,終りは脱兎の如く進捗した。 (1)フネの性格 その概要はI項の通りなのだが,一番の問題点仕切り上り性能である。 レーサーの世界で辱重される切上り性能と,クルーザーに要求されるそれとは,かなり違うものなのだ。この場合のように,走る水域もその季節も、そして出入りする港もさまざまなのかクルーザーの大前提なのだ。与論島のようなサンゴ廸系の小島の港は,複麗な迷路の暗礁群をスリ抜け、時には暗礁の上を強行突破し,しかも外洋の大きなウネリか一度に砕ける中を入港せねぱならず,また、地方の小漁港では予診毎に干上がってフネか循わるのも日常のことと考えねばならない。そのために絶対に必要なのは浅くて頑丈なロングーキールなのだが,その採択はレーサー的な切り上り性能をあきらめることになるのだ。 そのためにクルージングの世界では≪航海とは持つことなり≫という昔の帆船の伝統がまだ生きていて,たとえ迂回コースでも順風順潮のコースか帆船の正規のコースとされ、風待ち潮待ちは帆船乗りの常識なのだ。 結局,クルーザーか必要とする初上り性能はシャープな角度ではなく,危険水域から離脱するためのクロ一ズド・リーチだけである。 クローズド・リーチの性能のために必要なのは,大きな駆動カと小さな推進抵抗である。 駆動力の源泉は復原力である。しかし,パラストの増大は積載荷重を減少し.両方を立てれば推進抵抗を増すので,復原力はフ?ム・スタビリティー(船型と広巾による復原力)に頼らねばならない。そしてパラストは自力復原の安全性が要求する最小限を選ぶことにした。 居住性も,削らねばならぬ事項の1つなのだが,人間のスタミナが何にもましての原動力であり.安全のためにも最も重要度を持うこの種の小艇では、最低限の要求として、コーターパース2ケ,ギャレー,物入れ,テーブル,を確保せねばならない。この要求のコーターパースのために必要な2mのフネの巾は,フリーからクローズド・リーチの帆走陛能の要求にも適合する。だが,それでも、結局はこの7ネに生活する人間はj野生勁物の生態に戻らねぱならないだろう。一文明人の生態を海の上にまで持ち出そうとする人は.この種の艇には乗る資格か無い-。 (2) 主要寸法、計画 全長5m、水線長4.4m,巾2m、吃水1m以内という前提で,重量見積りの希望的数値を,船体300瓩、バラスト180瓩、積載品200瓩、合計680瓩と考えれぱ、バラスト比は1/4ロードに対して34%,排水量長さ係数(LWL/▽1/3)は、満載でも4.76と,意外に良い数値が予想された。 重量見積りの甘さは後で是正することにして、まずフリーハンドの配置図とセールプランが画かれた。それから仔細に検討した末.吃水は、フネが干上って据わった時にもヒール角が45°を越えないために880粍を訂正され、重量も,具体的に数値を当った結果は.船体370瓩,パラスト220瓩、艤装90瓩、空船時合計680瓩、それに荷重の200瓩を加えれば880瓩と訂正された。 (3) 船型 切り詰めた建造予算がこの艇の存在価値の最たるものであり、自作者も増加する傾向なので、合板のナックル型を考えねばならず,特にスタビリティ?の増大を必要とするためにスパロークラスに似た傾向の船型が選ぱれた。ということは,さきに発表された≪シードルフィン)とも類似傾向の、タインギー(ディンギー?)の船型を基調とする船型となった。 設計結果の最大復原力の328瓩-mは、比例的には抜群に優れ、復元範囲の約125°もまずまずの数値である また、弩曲の少いバトック・ラインは,フリーの帆走にかなりの性能を約束するものである。 (4)船体構造 なるぺく数少い造りフレームは,建造費低下と自作の容易さを約束し.外板の裏返しに予備接着される縦通材は,ロンジチューディナル・シズテムの応力外被構造と基調となって軽くて強い船殻を約束し、しかも数少いフレームの中間のアンフェアーを救うのに有効である。 このような合理的技法で低下させた実質船価は、良い材料と丁寧で良質な施工と,防腐処理に予算をまわす余裕を生じ,フネの寿命を長びかせることに役立つ。 〔5)艤装 高価な金属は極力減らし、未開地での修理を容易にするために,リギンのマストへの取付けは,最も原始的なスプライス・シスチムの金具なしで,セールトラックもグルーブではなくて金属トラック木ネジ留めとした。これならば、ディス・マストしても、樹木さえあれば、無人島でも代りのマストを立てられる。 乗員のスタミ少を助けるために,ウィンド・ベーン・システムのセルフ・スティアーの図面も画かれた。 (6)設計料 設計は無料サービスだっだ十数年前に比ぺると、オーナーが設計図を購入してから造船時に見積らせるのか常識になった現在は隔世の惑がある。しかも設計者の著作権か一般に認められて、1隻毎に設計料が支払われる習慣かできている為、一隻毎のオーナーは非常に安く設計図を入手できる。 この舶の場合も、設計原価の実費は10万円を越しているのに,各オーナーは1万円台で完備した設計図を入手できる。 かくて.この設計か完了し、鹿島氏の<コラーサ2号>艇が姫路の奥村ボート製作所で着工された時には.既に7号艇までのオーナーが確定していた。そのオーナーの人々こそ,本当は私をこの設計に踏み切らせたフロンティアなのである。今度も続々とフロンティアマンは輩出するだろう。 フロンティアマンに幸あれ! しかし、今の時代に、5mのヨットで太平洋横断しようなんて、若者はいないだろうね。 追記 2021/09/01なんだか、熱気だけは、あったあの頃、もう還ってこないよな・・・・・ 断捨離していたら、こんなのが見つかりました!! ああ〜、熱き青春は、どこに行ってしまったのか?きっと、いい意味で蒸発しちゃったんだね(笑)
by nandemokoukisin
| 2017-09-10 23:04
| ヨット カヌー 海
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Comments(2)
横山晃氏の文章をテキスト化して頂きありがとうございました。舵社「太平洋ひとりぼっち」の復刊版を読んでキングフィッシャーって何?と思ってネット検索し貴ブログを見つけました。私は、ヨット大好き人間で、瀬戸内海を東西に航海する為、現在はヤマハ26Cを仁尾マリーナに係留して楽しんでおります。乗り継いで来た船は、スナイプ、シーホッパー、シカーラ、トッパーです。私も興味さえ沸けば、なんでも突き詰めて探究するのが大好きです。まずは、御礼まで。井上透@高松 何かあればメールwaiheke@yahoo.ne.jp下さい。 URLに記載したのは私のブログです。
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nandemokoukisin at 2020-05-07 16:22
ブログをご覧頂きありがとうございました。
仁尾マリーナは、陸からしか行ったことがありませんが、良いところですね!! 緊急事態宣言が解除されたら、ぜひ、お邪魔したいと思います。 よろしくお願いします。
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