スマホ断食 藤原智美著 |
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2017年 08月 27日
これを読んで、フェイスブック活動を抑えたわけではありませんが、指摘されていることは、よく理解できるような気がしてきます。
フェイスブックにつながらない一抹の寂しさはありますが、時間に追われない自由になったような気持ちになれることが、とても嬉しく感じます。 <抜書> ・ネット時代に意義があります! 何かあるとすぐネットで検索止まらない ネットサーフィンで気づくと1時間。 LINEの既読が気になって仕方がない… ネット付の日常から逃亡し、自分を取り戻す芥川賞作家によるネット社会批判 ・例えば本を読むのは一人です。「個人」で完結する行為。それに対してネットにアクセスしてSNS、ゲームを利用するという行為は相手がある「集団」的な行為です。ネットの「つながっている」時間では常に誰か、どこかへの意識を捨てることはできないし、その誰かが、どこかは常に応えを求めてくる。その時あなたが、あなたの思考の中で沈潜し、他者にじゃまされずに考えをめぐらしたりすることが、ほとんど不可能といえます。 ・同じポイントカードを提示したりすると、あなたがどこで何をいつ買ったかなデータ化されると言うことになります。このデータを積み上げていくと、あなたの読書傾向、家族構成、さらに年収等を推測することも可能で、こうしたカード類を使うという事は、自ら進んで個人情報を提供しているのであり、ポイントと引き換えに自分のデータを売っているということでもあるのです。 ・ではなぜ現在、このように学究分野で不正が頻発するようになったのか?原因はネット言葉の機能を使えば、実に簡単に不正が行える事にあります。その技術的なハードルの低さがモラルの低下を招き、不正を横行させているのです。 ・ハロウィーンなど、新しい祭りの参加者たちは、仮装した自分の姿をスマホで撮影しあいながら、その画像をネットに流すのを常としています。その姿はまるで、雰囲気を楽しむというよりも、いかにたくさん写真を撮影してネットに画像やメッセージとして発信できるかを競い合っているかのようです。そして自分のメッセージに「いいね」クリックがついたり、リツイートで拡散されたりすることを願う。 ・市民マラソンでは沿道で応援する人々人々が、スマホやデジタルカメラを構えてシャッターチャンスをうかがっています。ランナーもまたスマホなどで撮影しながら走っている。なぜ市民マラソンがこれほど盛んになったのか、その理由の一端がここにあります。つまり参加することが、ネットに発信する材料を作ることになる。SNSやブログのために走るという人もいるのです。 ・かってアベベ選手が自己の内面に沈潜するように寡黙に走り抜いた42.195キロが、いま市民ランナーたちによって画像、映像、メッセージ発信の舞台となっているのです。 ・柳田国男によると、「日本の祭りの最も重要な一つの変わり目は何だったのか。一言でいうと見物と称する群れの発生、すなわち祭りの参加者の中に、信仰を共にせざる人々、いわばただ審美的の立場から、この行事を観望する者の現れたことであろう。…祭りはただ眺めるものと、考えるような気風をも養ったのである」と述べています。 ・私は若い頃海外旅行に行って、撮ってきた膨大な数の写真を見ながら、見覚えのない景色がたくさん出ていることに出てくるのに閉口したことがあります。写真を撮ることに夢中で、現地でそのものをよく見ていなかったのですが、それと同じことが、SNSでは毎日反復されているような気がします。 ・ときに「私」は「皆」と対立することもあるはずですし、世界はそれを許容するものでなければならないはずです。もしSNSなどのネット社会が、集団の中で個人が自律的に考え、自己形成行うことを阻害するものとして立ち現れているなら、私たちがそれに対して、何らかの形で「ノー」をつきつける必要があると思います。 ・こうして騒々しい時間の流れの中で、一人で居ることの意味を、人は忘れつつあるようです。というより、スマホから離れて1人で何かを思い、考え、思索することを恐れているようにさえ感じます。だからいつも誰かとつながり、みんなの話の中にようとするのではないでしょうか。 ・スマホという手のひらサイズの道具は、ますます人と人との関係や社会の様相を変えていくことになると思います。そして何より私たち自身の中身が変化するでしょう。「物思いにふける」「考え込む」という行為は、スマホ世界ではマイナスイメージを持ちますが、これは最も高度な生き物としての証であり、人間として必要不可欠な贅沢の一つです。
by nandemokoukisin
| 2017-08-27 11:50
| 読書ヒストリー
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