低成長論争 いま問われていることは 朝日新聞 |
批判論者のひとり、読売新聞グループ本社の渡辺恒雄代表取締役主筆は掲載翌日の同社の賀詞交換会でこの記事をとりあげ、こう述べた。
こ間単に言うと低成長を容認しろ、ということです。アベノミクスのGDP600兆という目標を否定する立場を出している」「僕が朝日新聞の低成長の容認論に反論するのは、成長をあきらめていたら日本は第4次産業革命に乗り遅れていく。日本は国際競争力を失うんじゃないか」(1月18日「新聞情報」)
ここは説明しておきたいのだが、私は積極的に低成長を奨励しているわけでも、産業革命や国際競争力の向上をあきらめろと言いたいわけでもない。批判論者の中にはこの記事を「成長否定論」と決めつける向きもあるが誤りだ。
経済成長の効用は私も知っている。税収が増え、社会保障の未来が描きやすくなる。企業収益が増えて給料が上がるかもしれない。成長はあらゆるものを癒やす。
ただ、心地良い高成長を望んだとしても、現実にはなかなか難しくなってきた。そこで「とにかく成長を」と無理な政策に走れば、かえって経済にゆがみが生じかねない。そう言いたかったのだ。 ’
「週刊東洋経済」1月21日号のコラムでこの記事を批判した小峰隆夫法大教授を訪ねて議論した。
ーー食料もエネルギーも無
GDP統計をどうとらえるかという考えに違いはあっても、大事なのは成長率でなく豊かさが増すことだという点で、私と小峰さんの考えにそれほど違いはないと感じた。
20年以上に及ぶ日本の低成長、世界に広がり始めた成長鈍化の波、政府や日本銀行による異例の政策の連打と失敗一
……。’」れだけの現実を見せられたら、「とにかく経済成長だ」という掛け声に違和感を感じるのは当然だろう。
低成長社会を構想することは敗北主義ではない。むしろ今の政権の方が成長率引き上げにこだわり続けることで、低成長時代に必要な社会制度の再設計から目をそむけ、逃げているのではないか。
?食料もエネルギーも無限ではありません。そろそろそれを念頭においた成長論が必要では?
「そういう制約がいよいよ問題になれば、市場に警報が出てくる。まだ成長をあきらめるのは早すぎます」
ーーとにかくGDPを膨らませよ、という政策に問題はありませんか。
「私も名目GDP600兆円目標には意味がないと考えている。豊かさを広げる努力をしていく結果、広い意味でGDPが大きくなればいい」
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