晩年の美学を求めて 曽野綾子 |
結構、男性には耳が痛いですが・・・・その一端をご紹介します。
しかしそれにしても人生の意味の発見というものほど、私には楽しく、眩しく思われるものはない。その発見は義務教育でも大学でも、学ぶことを教えてもらえない。強いて言えば、読書、悲しみと感謝をしること、利己的でないこと、すべてを楽しむこと、が、そこに到達することに役立つだろう。
神が私のために用意したものの意味を、その時、私は発見し、その盃によってもたらされた自分の人生に感謝する。それが神に愛された生涯であり、その人がこの短い生を生き尽くしたことになる。
自分の人生の解説者になれるのは、自分自身だけなのだ。
今からでも遅くない、たった一つの盃、特注の美酒の味に到達する人になりたい。葬儀というのはそうした思いを人に与えるまた、素晴らしい機会である。