耆(ろう)に学ぶ~今に生きる者たちへ 清水克衛編著 |
我々世代は、たしかに頑張ったのですが、ここに来ると甘さが出ているような感じがします。
正直言うと、集団でいる我々世代以前の方々を見ると、もっと、目立たないようにしてと思います。
これからの人が、生きやすいように、すべきなんだが、どうすれば・・・・いいのか?
<抜書>
☆清水克衛氏
・今こそ、耆に学べ。老に旨と書いて、「耆」。うまいですよね。経験に裏打ちされたうまい知恵がある。その知恵で人が進むべき道を示してくれる。それが老であり、「耆」なんです。
・真の老人は、愛すべき人間であるが、肉体だけが衰えた年寄りは、実ににくたらしい存在と言えるのではなかろうか。
・「暮らしの手帖」を創刊した花森安治さんがその著者の中で次のようなことを言っています「。
「日頃から、僕にどうしてもわからないのは、大臣みたいなものになりたがる人間の気持ちと、シワを気にする女の人の気持ちです。そこいらの男に聞いてごらんなさい。あなたの目尻のシワなんて、気にしてるやつは、1人もいませんよ。気にするなら、シワでなくて、目じゃありませんか」
・その人の生命がボロボロの灰になるまで燃え尽きたかどうか、私にとって成功哲学はそれだけです。燃え尽きれば成功した生命であり、くすぶれば失敗の人生それだけです。
・私たちの「当たり前」は、ひょっとすると当たり前じゃないのかもしれません。自分が正しいと思っていること疑ってみましょう。勘違いしたまんまの横野郎を抜け出すためには、あなたが持ち続けたきた「正しさ」をとことん破壊してくれる人が必要です。
・本の読み方を変えましょう。分かろうとするのではなく掴み取る読書です。掴んでグッと肚に落とし込む感性の読書です。
・道には終わりがありません。最終到達点がありません。そういう道を求めて努力を続ける求道者です。
☆執行 草舟さん(昭和25年生まれ)
・とくに目に余るのが「老人」です。自ら、現代の貴族である弱者を気取り、あらゆる恩恵を受けながら平然としている。嬉々として旅行したり、うまいもの食べて楽しみ、自らの健康と長寿のことばかり気にかけている。そして、それを公言して憚らない。ふざけるなと言いたい。いい年をして、世の中や他人に対して「遠慮」というものがないのかと私は言いたいのです。
・「老」というのは、本来は「秀ている」という意味を持つ言葉だったのです。
ところが、現代ではそれが「悪いこと」や「劣ったこと」のように扱われている。・・・・精神を重んじていた従来の文明と根本から違うことを、現代人は知らなければなりません。物質だけに価値を置くことによって、若者が秀れていることになってしまったのです。
・「毒をくらえ」
「毒をくらえ」という思想の第一は、「肉体の毒」を取り込むために「なんでも食え」ということです。
・体の事ばかり気にしている人間は、弱く卑しい老人に成っていくに決まっているのです。自己ばかり見つめるものは、つまりエゴイストだからです。
・「毒をくらえ」という思想の第二は、「精神の毒」というものを知ることです。精神の毒。つまり、「不幸を受け入れる思想」を確立することです。精神的に嫌なことを積極的に受け入れる姿勢と言えます。精神は毒によって鍛えられるのです。
・昔の躾けは、これが根本にありました。「人生は思い通りにはならない」とか、「人様に後ろ指を指されててはいけない」「もののあわれみを知る」とか。こうした言葉の背景にあるのは、不幸を受け入れる思想です。自分が幸福になろうとしてはいけないという思想です。
・毒をくらえ」という思想の第三番目は、「文明の毒」です。機関銃に向かって突進できるのは文明国だけだったのですよ。「愛国心」という文明がなければ、これは出来ないことなのです。・・・・機関銃に向かって突進して、多くの兵士が死んでいった国というのは、ドイツ、イギリス、フランス、日本、アメリカ、それぐらいしかないのですないんです。
・老いは衰えることではなくて、強くなり、美しくなることです。これを私は、「老いの美学」と呼んでいます。真の老いというのは、精神論によってもたらされる哲学概念が作り上げるものなのです。精神を大切に思う人間だけが、あらゆる「毒」と直面することが出来ます。
・耆には「にくむ」という意味があると書かれています。にくむとは、鍛えること、いじめることです。自分を痛めつければ痛めつけるほど、老いの過程は美しくなり、強い老人になっていくことに他なりません。
・自分に対して、厳しく修行を積めば強く美しくなる。これが昔の常識です。
・トーマス・マンは言います。健康であることは、良いことではありません。健康というのは、つまりは動物だということなのです。病気であることが、人間なんだと言っている。死に向かって老いていく過程が人間的なのです。
・生命の本質は、悲哀にあります。
・真に秀れた老人は、国家や世間、そして未来を担う若者に対して「遠慮」というもがなければならないのです。そして、それがある老人こそが、敬われ、また「かわいい」老人となっていけるのです。
・忍ぶ恋を、自己の思想の柱の一つにしなければならないと思うのです。憧れに生きることが、真の「武士道」を生むのだと私は思います。憧れとは、自己の脳髄の破壊を必要とします。自己を殺さなければ、真の憧れは手にはいりません。
・生きることは、自分だけの力でやらなければだめなのです。厳しいことを言いましたが、それが生命の本源なんです。頼るべきは自分の生命の力だけです。それを信じなければ、天と繋がることは出来ません。
・私が若いときに知遇を得た文芸評論家の小林秀雄が、かつて、私にこう言いました。「知性は、勇気のしもべである」と。当時、日本最大の知性と呼ばれた小林秀雄がそう言ったのです。これが読書の本質なのかももしれません。つまり、生き方とその結末である「老い」の本質ということです。
・「良い芸術には祈りがある」、わたしはそれになぞらえ「良い書物には、祈りがある」 と最後に言いたいと思います。
・時雨は、人生そのものといえるでしょう。生きておりますと、世の中ですからいろいろなものが降りかかってききます。それでも、一枚の簑を来ていれば身体を守ることができます。
・現代においては、死を悪しきものと避ける風潮がございます。ですが、死を考えることは生きる上での絶対条件です。
・死を覚悟する、そのときに、茶の湯が使われました。死んでもいい、生き残ってもいい。それを天にまかせる。死とはこういうものであると受け入れた瞬間に、人は恐れるものがなくなります。
・お茶は理論があって、技があって、心があって、その三つが和してはじめて成立をみます。ただ作法をまねているだけでは本当のお茶の深みは見えてきません。
・歩いても座禅、走っても座禅、私の師匠である雪底老師がよくおっしゃいました。歩いていても呼吸をしっかりとお腹の中にいれ、走っていてもしっかりと丹田に力を込める。下に力を落としなさいということでしょうが、座れば自在にそれができます。
・使命感、正義感、感謝心、優しい心はあなたのものではありません。なぜなら、、理屈の脳である大脳新皮質ではなく、伝書伝達、すなわち脳幹や大脳基底核から出てくるものだからです。悪い心は自分のおかげ、良い心は先祖のおかげです。
・人生における選択と決断に迷ったときは本能の脳で決めるのが一番です。
魂が燃えるのに従い
魂が燃えないことはやめよ
・大切なのは人間的成功です。人間的成功は精神的な成長や充足によってもたらされる境地です。そのためには「他者を受け入れる」能力が必要となります。
・すなわち、人間的成功は「自己の愚かさ」の追求です。自分の脳に問いかけを行う、このことが人間的成功への道である。
・ものごとを逆から見てみましょう。すると一方思考から解放されて、それまで気がつかなかったことに気づくことができるようになります。
・人間は成長段階に応じて三つの計画を立てながら生きます。「生計」「老計」「死計」の三つです。・・・年を経るに従って「どのように老いるか」を考えるようになります。(老計)そして、最後は「どのように死んでいくか」を考えます。(死計)
・私の脳から父の記憶が消えたとき、私の中の父は死にます。人びとの記憶からなくなったとき、人間は二度目の、本当の死を迎えるのです。
・ステーブ・ジョブズはすい臓の手術をしたあとにこう語ったそうです。”死は生命にとって唯一にして最高の発明だ。”
(森信三さんに出会い師事)
・人間は一生のうち逢えるべき人には必ず逢える
・縁は求めざるには生ぜず、うちに求める心なくんば、たとえその人の門前にありとも、ついに縁を生ずるに到らずと知るべし。
・「人生に二度なし」これ人生における最大最深の真理なり
・つねに腰骨をシャンと立てること これ人間に性根の入る極秘伝なり
・われわれ人間は、ただ一人の例外もなく、すべて自分の意思ないし力によって、この地上に生まれてきた者はない。そしてこの点に対する認識こそ、おそらくは最高最深の叡智といってよい。さればわれわれ人間は、それぞれが自分がこの世に派遣された使命を突き止めねばならない
・人はすべからく 終生の師をもつべし
・本稿を通じて森信三先生に興味を抱き、著作に触れる方が一人でも増えたら、これに勝る喜びはございません。