民主主義ってなんだ?高橋源一郎☓SEALDs |
表題の民主主義ってなんだ?にも、そんなん当然じゃんって思っていたのですが、なかなか・・
こりゃ勉強になりました。
武藤議員のツイッター批判
SEALDsという学生集団が自由と民主主義のために行動すると言って、国会前でマイクを持ち演説をしてるが、彼ら彼女らの主張は「だって戦争に行きたくないじゃん」という自分中心、極端な利己的考えに基づく。利己的個人主義がここまで蔓延したのは戦後教育のせいだろうと思うが、非常に残念だ。
<抜書>
・高橋 彼らの活動を遠くから眺めながら、1つだけ思ったことがあった。彼らがやっていることは、本当にとても大切なことだから、もっと知られるといいのに、と。
・高橋
SEALDsの活動では、女の子たちが活躍している。芝田さんはその1人だ。活躍している、という言い方変だよね。普通の事だから。
・高橋
上から目線でいいんじゃない。これはいつも僕が自分に向かって言う言葉だ。学ぼう。僕たちは本当にうちだったと思うから。元気になろう。僕たちがしている世界のかにはもっと広い世界があるはずだから。憎しみに巻き込まれないようにしよ。いちばんこわいときはそれだから。
・高橋 SEALDは僕たちのような上の世代では、ベ平連の後継とか生まれかわりと思っている人が多い。ベ平連の原則は「自分のやりたいことをやる、人がやることに文句はつけない.、文句があるなら自分でやる」。それから「除名しない。去る者は追わず。来るものは拒まず」。
・高橋 今の民主主義は基本的に代議制民主主義です。選挙で代表者を選ぶ。古代ギリシャでは、はっきり否定している。なぜならそれは持続性と同じだからです。それから2,300年後にルソーが「社会契約論」で、代議制民主主義は奴隷制度と同じだと書いた。
・高橋 ヨーロッパ人が勝手に考えている民主主義の歴史だけが正当で、後は民主主義に似たものにすぎない、なんて傲慢すぎる。そう考えていくと、民主主義の定義を広げたほうがいいんじゃないかことになる。
・奥田 多分民衆の多数がどうかっていうことは別個に、自分にとって正しいことを言うのってのも大事な訳です。人を殺しちゃいけないとか、平等が大事とか、自由が大事とか。やっぱり俺らが言っているのは「自由」「民主主義」のことなんだなって。だから、平等って概念抜きの民主主義って結構危険。
・奥田 ただ、正しさと民主主義が折り合いがつかないことがある。「みんなで話し合ったり、意思表示することがだいじ?それとも良い決定をすることがだいじ?」って。たぶんどっちか1つだけじゃないのが難しいところなんでしょうね。
・高橋 僕が話した福岡の宅老所を作った人は、それはおかしいと思った。だからやり方をひとりで変えた。どうしたかというと、自分と同じ人間として平等に扱ったんだ。そうやって世話をしていたら、認知症の進行がとまったり遅くなったり、回復する人まで出てきた。認知症の老人と健常者が作るコミュニティーができたわけ。それまではコミュニティーじゃなかったんだよね。同じ人間という視点で作ったとき、看護する人、看護される人の。極端なこと言うと、民主主義が薬になったわけです。
・奥田 僕が思う民主主義というのは、エライ人に何でもまかせっぱなしで文句言うだけじゃなくて、いろんな人がいる社会の中でどうやって生きていくか、個人として引き受けて、考えたり、発言したりしつづけること。それってかなり面倒臭いのですが(笑)。それはずっと言ってます。「民主主義だから仕方ないし、やるか…」的な。で、その主体者は常に個人じゃないといけないと思うんですよ。
・牛田 立憲主義を重んじすぎるの危険なことは確か。「議会制民主主義で決まったんだから」って言うこと自体にも反抗していかないといけないし、かといって完全に自由というわけにもいかない。民主主義と立憲主義、つまり自由と拘束の間をうまく行き来するように議論を常にやっていく。その循環こそが、僕は本質だと思う。
・奥田 「日本は民主主義国家だ。素晴らしい」って話じゃなくて、どうやって意見の違う人と生きていくかという能力を自分たち自身も高めなき高めていかなければいけないなって。今の国会を見ているとそういう能力が高いとは思えない(笑)
・高橋 認知症の人間も障害者も実際に弱い。でもそこで「平等「」同じ」というフィクションを作ったとき、そこにできる共同体は実はすごく強い。リアリズムでやっているつもりの共同体の方が実は弱い。「弱い人間はあっちに行っていって」というふうにやると、強い人間だけが真ん中に残るいびつな社会になる。弱い人間も入れて、全部平等で同じって言う風にしていく社会の世界のほうが、運用は難しいけれども、結果としてははるかに強いものになる。だから民主主義はまだまだ使い尽くしてないというか、使い尽くすことができないもの、非常に微妙で精密なものだって思うんです。民主主義が完全な形のものでないからこそ難しい。難しいから、教育になるてことだと思う。
・高橋 その段階でかなり弱い存在なんだよね。何を言っても、お金を貯めても就職しても勉強しても、最後は死ぬ。人間って、限界だけでしょう。それをわかったうえで、とりあえずマルクス的に言うと、「人は個としては死ぬが、類としては死なない」。個人としては死ぬけれど、社会は残る。ぼくはその考え方の好きなんだよね。自分が死んでも社会があって、自分の子供たちあそこで生きていく。そう思うと、ちょっとでもデモクラチックな社会を作っておこうかなと思う。それは次の世代が要求しているからじゃなくて、僕たちが先行する世代から、そんな社会や考え方を贈り物として受け取ったと思っているからだ。
・奥田 民主主義って誰で誰しも当事者になれる。「あんたはどうするの?」って話に必ずなる。「民主主義ってこういう制度だよね」で客観的な立場から言うだけでは終われない。この社会見て「あんたどうするの?」「あんた主権者だし」という話とは切っても切れない。僕らは現実の社会に生きているから、民主主義を単純に褒められないけれど.でも逆に言うと責めることもできないというか、完全に貶めたところで「言うても、それ作ってる1人はお前や」ってなるから。
・牛田 人と話すと、自分の中で変革を強いられる。短絡的で、そして図式的に思考しがちな僕に対して、源一郎さんはとても複雑に、柔らかくものを考えていた。
・奥田 どんな社会になるにしても、問われているのは自分たち自身だということだ。法案が通るまでも、通った後も、そして次の選挙も、問われているのは政治家ではない。「民主主義って何だ?」そのこと出すのはずっと自分たちの番なんだと思う。
・芝田 私は民主主義という言葉を「正義」として使うことにためらいを持ってしまう。SEALDsで活動するようになってから、私たちの活動そのものが民主主義なのではないか、と考えるようになった。いずれにせよ、民主主義の不在や空白は、自分たちで埋めていくしか無いのだと思う。社会に民主主義を見つけることができないこの現状を打開したいと思うから、私は民主主義にかけたい。
機会を狙って、やってみます(笑)