超高齢社会における地域社会のあり方 同志社大学大学院ビジネス研究科教授 浜矩子さん |
①ヒト・モノ・カネが国境を越えて動くいま、「国家」の存在感は希薄になりつつあります。国家は本来、国民に奉仕するためにあるべきです。
②国家の力と質が低下しているいま、グローバル社会を生き抜くためには、地域社会や地域共同体がもっと前面に出ていくべきでしょう。
③民主主義の基本は、すべての決定が市民に一番近いところでなされることです。市民のレベルで解決できないことを中央・国家にその権限を委託することが「権限委譲」なのです。多くの権限を国家に委譲しすぎているのかも、それらを市民の手に取り戻していくことが、必要だと感じています。
④厳しい事態を乗り越えるべく、いまのギリシャには「地域通貨」が普及してきています。地域通貨は地域の経済が行き詰まったときには、力を発揮することが過去に検証されているのです。日本にも地域限定商品券、お買い物券的な地域通貨がありますが、もう少し本格的な通貨として価値と存在感のある通貨が、日本にもあっていいのではないかと考えています。
⑤孔子とアダム・スミス、両者の言葉に共通しているのは「大人の感性を持つ」ことの大切さてはないでしょうか。経済社会を真っ当な方向に持っていくために必要な道具は「傾ける耳」「涙する目」「差し伸べる手」です。
本日は「地球の時代は地域の時代」「地域社会は誰のため? 何のため?」「権限委譲の本当の意味」「ギリシャ人だちから学ぶべきこと」「2人の賢者が教える二つのこと」についてお話しします。
ヒト・モノ・カネが国境を越えて動くいま、「国家」の存在感は希薄になりつつあります。国家は本来、国民に奉仕するためにあるべきです。国家というサービス事業者は、国民という顧客に質の高いサービスを提供しなければなりません。その力と質が低下しているいま、グローバル社会を生き抜くためには、地域社会や地域共同体がもっと前面に出ていくべきでしょう。
地域社会は、そこに住む人のためにあり、人々がのびのびと自己展開できる賜であるはずです。しかし、政府が掲げる「地方創生」は、そこから離れていっている気がしています。誰のための地方創生であり、経済成長なのかを、私たちは考えていく必要があります。
民主主義の基本は、すべての決定が市民に一番近いところでなされることです。市民のレベルで解決できないことを中央・国家にその権限を委託すること、それが「権限委譲」なのです。いまの地域社会は、多くの権限を国家に委譲しすぎているのかもしれません。それらを市民の手に取り戻していくことが、これからは必要だと感じています。
ヨーロッパの現状を見て、ギリシャ人から何を学ぶのかと思う人も多いでしょう。しかし、厳しい事態を乗り越えるべく、いまのギリシャには「地域通貨」が普及してきています。地域通貨は地域の経済が行き詰まったときには、力を発揮することが過去に検証されているのです。日本にも地域限定商品券、お買い物券的な地域通貨がありますが、もう少し本格的な通貨として価値と存在感のある通貨が、日本にもあっていいのではないかと考えています。
『論語』を書いた孔子は、人間70歳ともなれば「心の欲するところに従えども「矩を」こえず」と言っています。自分のやりたいことをのびのびとやっても、守るべき規範「矩」をこえない、つまり、人を傷つけたりするよぅなことはしないことだと私は解釈しています。高齢社会とは、賢い大人の多い社会であるはずだと思っています。
アダム・スミスは「経済活動を営む人間だちとは共感性を有する人々であるはずだ」と言っています。共感性とは「他者の痛みに思いをはせて泣くことができる」ことです。
孔子とアダム・スミス、両者の言葉に共通しているのは「大人の感性を持つ」ことの大切さてはないでしょうか。経済社会を真っ当な方向に持っていくために必要な道具は「傾ける耳」「涙する目」「差し伸べる手」です。
人々の声に耳を傾け、人の痛みに涙し、救いを必要としている人のために手を差し伸べることこそが、成熟した社会に必要な要素であり、これからの地域社会をつくる大きなポイントだと考えています。