アンプラグド 冷蔵庫が導く仏の境地 コラム 稲垣えみ子さん |
ついに冷蔵庫の電源を抜いた。
毎度、節電の話で申し訳ない。しかしこれは、やはり書かずにはいられない。原発事故の後、様々な家電製品を手放してきたが、これほど暮らしに打撃を与えたものはなかったからだ。
いや、「暮らしに打撃」というより「人生に打撃」といってもいい。半世紀にわたり積み上げてきたつもりの人生観が、あっというまに崩れてしまったのだ。
ちなみに、節電派でも冷蔵庫にまで手を出す人は少ないだろう。私もここまでやるつもりはなかった。なぜ、このような「暴挙」に出たかを少し説明せねばなるまい。
昨秋、転勤に伴い神戸から東京へ引っ越した。新しい住居がまさかのオール電化マンションー 言い訳をすると、実際に引っ越すまでそうとは知らなかったのだ。ご時勢ゆえか、仲介業者から説明は全くなかった。にしてもうかつ。一生の不覚である。
神戸では月に千円以下まで極めていた電気代が一気に3千円を超えた。エアコンも掃除機も電子レンジもないのに、煮炊きや風呂の湯沸かしに要する電気がスゴイ。
悪いのは電力会社ばかりではなかろう。こんな家を「便利」「ガス代が節約できる」と、せっせと売り買いしていたのだ。それを原発が支えた。これが我々の自画像である。ならば逃げるわけにはいかない。ヨシやってやろうじゃない「オール電化住宅における節電」ってやつを。
夕—ゲットはもう、一つしかなかった。
◇
たちまち困ったのは、ご飯の冷凍ができないことである。私、毎日弁当を持参する「自炊派」。仕事との両立の要が、ご飯のまとめ炊きによる冷凍保存だった。、
毎回炊くのは負担が大きいし、そもそも電気で炊くのだから本末転倒である。熟考のすえ「おひつ」を購入。これが想像以上の優れものであった。日が経つと、ご飯が次第に乾く。つまり腐らない。図に乗って1週間保存したらカチカチになった。おお、侍が持ち歩いた干し飯とはこれか。硬くて食べられぬが、ナニ粥にすればよい。
作り置きのおかずは寒いベランダで保存。さらに残った食材はせっせと干し、漬けた。まるで農家だ。なかなか楽しいと喜んでいたら、世の中やはり甘くなかった。
冷蔵庫感覚でほったらかしていると、春が近づくにつれ、気づけば干し野菜はかび、おかずからは異臭が漂ってくる。冷蔵庫の威力おそるべし。
もはや買い物を減らすしかなかった。
今日明日に食べきれるものを買う。となると、ほとんど何も買えない。ニンジンとキャベツと油揚げを買ったら既に2日では食べきれぬ。帰宅途中にスーパーを1周しても、家で待つ食材の顔を思い出しそのまま退出する日が続く。欲しいから買うなどという娯楽は許されないのである。
冷蔵庫とは、時を止める装置であった。まずはいろいろ買い、とりあえず冷蔵庫。
「いつか」の箱といってもいい。今は使わないが、いつか使う(かも)。冷蔵庫には将来の可能性がいっぱい詰まっている。
私は、その可能性を捨てたのだ。残ったのは、ちっぽけな自分だった。私が生きていくのに必要なものは、意外なほど「ちょっと」しかなかったのである。
◇
見渡せば、私の周囲は「いつか」の夢でいっぱいだ。いつか着る服。いつか読む本。いつか行きたい場所。いつかに思いを巡らせ、思うにまかせぬ今を慰めてきた。気づけば夢や欲望は際限なく広がり、今度は何もかもが足りなく思えてくる。
だが、いつかっていつだ? 人生はしょせん、今日の積み重ねである。
きょう必要なものだけを買う暮らしは、実のところかなりつまらない。夢も希望もなかりけり。しかし生きるとは、しょせんこの程度のことなのだ。
人間の苦しみの根源をみつめつづけた仏陀も「今、ここを生きよ」と言っている。
人はたえず過去を後悔し、未来に心を悩ませる。だが、過去も未来もしょせんコントロールできないものだ。そんなことに悩んでいるから人生は苦しい。そんなヒマがあったら、今を真剣に生きよ。
いつのまにか、仏の境地に近づいている私である。