村上龍 国家的な希望がないのではなく、必要としなくなったのだ |
「あなたの作品は日本社会の暗部を描いているようだが、バブル後の日本は本当にこんなに病んでいて、退廃していて、希望がないのか」 というような質問に対し、わたしは、一貫して次のように答えてきた。
「国家的な希望がないのではなく、必要としなくなったのだ。国民的な努力によって貧しさと無知から脱却した国家にとって、希望は国ではなく個人が固有のものとして持つべきもので、病んでいるように見えるのは、近代化を達成した日本社会が自由度と成熟度を増したからだ。真の先進国には、往々にしてそういう症状は発生するものではないか。あなたたち外国人は、日本の現在や未来について心配する必要はない。日本は今、経済的にも政治的にも社会的にも大きな過渡期を迎えているだけなのだ。経済的にはすでに立ち直りつつあるし、政治的・社会的な混乱も相対的に言えば少ない。グローバルな市場と、深刻な原理主義的対立、そしてそれらが複雑に入り組んだ利害関係の中で、日本は今後単なる経済的優等生を卒業して、積極的に世界の平和と安全と利益のために寄与するようになるだろう」