定年後7年目のリアル |
しかし、山下良道さんの「青空としての私」を読まれていたとは、驚きました!
<抜き書き>
・「芸は、これつたなけれども、人の耳を喜ばしめるとにあらず。ひとり調べ、ひとり詠じて、みずから情け(こころ)を養うばかりなり」
・玉村はこう書いている。まず「隠居」の辞書の定義をひいている。「家督を譲り、職を辞して隠退すること。世事を捨てて、閑居すること」。
・「高齢者年齢に達したのを機に、世間の渦中から一歩離れて、好きな時に好きなことを少しだけやり、死ぬまでの時間をできるだけ普通に淡々と過ごす、そんな隠居に私はなりたい。
・長生きは、自分ではコントロールができません。いずれにしても病気になる前から病気なることを心配するのがいちばんいけないことなのです。私は普通に死んでいきたいと思います。長明
・モノやカネがそれほど向かなくても、それなりに豊かな生活の質を保つ方法はあるはずです。どこかで欲望の輪郭に線を引き、今の暮らしを肯定して、これが自分のスタイルなのだ、と毅然として言う事はできないものでしょうか。
・伊藤比呂美さん、「涙が止まらないのである。私はめそめそ泣いている。人前で泣くのは気恥ずかしいが、止められない。悲しいというのではない。悲しくない。後悔もしてない。早すぎたとは思わない。意外でもなかった。悲しいというのではない。ただ単に父の死に顔や体を見ていると、子供だった頃の父が思い出されてきて、懐かしいのである。懐かしさのあまりに涙が出る」
・青空。
それが私です。私の本質です。私たちのいろんな色々な思いは、雲のようなものでしかありません。どれほど誰かの怒りや憎しみにとらわれ、苦しんでいるとしても、その怒りも黒雲でしかないのです。
雲は、それ自体が私ではありません。
雲を浮かべている青空、それが私です。青空としての私。このことを本当に実感した時、心に積もっていた苦しみも、心を離れない悩みも、雲が空にとけるように、ふわっと消えてしまいます。雲は、私ではないのですから。
・とりあえず「雲を浮かべている青空、それが私です」だけを置いておこう。
・天野忠の私有地からもう一編。引用はこれで3度目だが、最後です。
おじいさんと/おばあさんが/散歩している。
人通りの少ない公園裏の/陽のあたる穏やかな景色の中を
おじいさんと/おばあさんが/うなぎ丼を食べている。
おじいさんが少し残したので/おばあさんが小声でたしなめている。
中略
おじいさんと/おばあさんが/夕暮れの景色を見ている。
「少し寒いようだね」とおじさんが言う。
「ええ すこし」とおばあさんがうなずく。
おじいさんと/おばあさんが/一つ蒲団の中で死んでいる。
部屋をキチンと片付けて
葬式代を入れた封筒に「済みません」と書いて。 (好日)