フルサトを作る 伊藤洋志×pha 著 |
みんなが、すぐできるわけではないのでしょうが、里山資本主義とか、日本の隠された資源、資本、空き家等も含めて、解決の糸口があるのかもしれません。
また、肩肘を張らずにできるところからやっていくというのも、良いことだとおもいますね!
<抜書>
・フルサトと言っても実家のこととは限らない。・・・本書では、現代社会におけるそれぞれのフルサトを、自分に合わせて作っていくことを考えていきたい。これはちょっと気を張らないとやっていけない資本主義経済世界に大なり小なり関わって生きている現代人が、完全自給のコミューンを目指さなくても、まあぼちぼちですな、というくらいで生きるための基盤になると考えている。
・将来のために居住場所の可変性を捨てて住宅ローン35年を嫌々支払う人生は、現実的な対応としては、あまりにハイリスクなのではないかと思う。
・フルサトをつくる、というのは田舎への完全移住ではない。
・DIYするときの勘所
まずやってみる。「本を読んで勉強してからやろう」「先生が見つかったらやろう」、などと考えている間にやる気が霧と消えることが多い。・・・こんなの素人ができるかな?という不安はひとまず置いといてやってしまおう。
・繰り返しになるが、経済競争が激しく行われている世界から脱出できる場所を持つこと。これがフルサトをつくることの主眼である。
・昔にくらべて今という時代は、「都市か、田舎か」とか「家族か友達か」とかそうしたものの境界が少し曖昧になってきているし、「一つの会社にずっと勤める」とか「一つの土地にずっと住む」とかいった固定した人生ブランも揺らいでいるんだと思う。・・・いざとなったら気軽に別の場所に行けるようなゆるいネットワークを広げておくのがリスクヘッジとしても良いのだと思う。
・フルサトは競争経済で戦闘するための場所ではなく、どうなっても文化的な生活の基礎を確保する場所であることが大事だ。
・経済とは何かが交換されて循環すればよい。・・・・もしかしたら、交換するものは究極的には物質やサービスではなく挨拶だけでもよいのかもしれない。挨拶の交換で楽しくなれれば、無料で気分がよくなれるのだからかなりの儲けもんだ。
・生活を探求することがそのまま仕事になる、というのが21世紀なのではないかと思う。なぜなら今までの生活の仕方がいまいち機能しなくなってきているからである。替え時である。
・ずっと、都会にいると動物的な感覚が鈍ってくるし、田舎に隠遁しすぎると思考が閉塞していまう。
・「リブライズはすべての本棚を図書館に」というキャッチフレーズで公開されていて、だれでもバーコードさえあれば自分の本棚を図書館として公開できる。・・・・「他の店をやりながら本も貸します」といった感じの場所も多い。
・文化を作るというのは、基本的には自分が楽しいことをやればいいものだし、仕事のようにそんなにきっちりやる必要もない。・・・文化をつくるのはゆるくて楽なものが。それを一緒に楽しめる仲間さえいれば何でも楽しいものだ。だから文化も自分たちで作ってしまおう。
・高齢化社会の問題の一部に老害の問題があるとある。メディアで目立ちやすい大御所の社会的影響力の増大、高齢化による思考力の減退、さらい趣味文化の低下による暇の処理不能、この三点がセットになったときに発生すると考えている。
・若者の判断力のなさは、影響力が小さいので問題になりにくい。要するに若気の至りということである。
・古代のひとたちもフルサトをつくっていた。王羲之、陶淵明・・・彼らが出世競争から距離を取るために自給的な生活を送るだけではなく、さらにそれぞれの趣味を持っていたというのが実に示唆深い。一度の都市生活のあとの田舎暮らしには技芸を磨くという要素がついてくる。そこはかなり大事な点なのではないか。
・「都会は冷たい、田舎には刺激がない」を超えて
最終的には充実した生活を送りたいというのが人間の願望であり、マネーなどはそのツールの一つである。
充実した生活というのは、現代においては衣食住の質的転換だと思う。他拠点居住は、生活の質的転換に対してかなり強力な手段になりうる。
・現在の状況は、もやは空き家が急増していて、しかも人口が増えない状況を考えると、家を持っていることよりも、住む価値を生み出すといえる段階にきていると思う。この際、逆家賃を発生させてもよいかもしれない。
借り主は修繕することでお金をもらいながら一定期間住むことができる。こういう発想ができないと家はただ朽ちて解体費用ばかりが増えることになるだろう。
・この高齢化、過疎化という大きな時代の流れはもう止められないだろう。それならば、それを逆に利用するしかないじゃないかと思う。社会というのはおおむね保守的なものだから、追い詰められないと変わらないものだ。逆に言うと追い詰められたときこそが変化するチャンスだ。過疎化を逆手に取って考えれば、過疎化が進みきった地方は人があまりいないからいろんなしがらみが少なくて、やる気さえあれば新しいことをなんでも自由にやりやすいと考えることもできる。
・田舎には土地も家もたくさん余っているし、日本は道路や鉄道などの移動手段が発達しているし、今は結構な田舎でも電気、ガス、水道、インターネットなどの生活インフラは整っているし、田舎にいてもネットがあれば
たいていの物や情報は手に入るようになったし、現在は都会と田舎を連動させながらいろんな面白いことをやるのにかなり良い条件が揃っていると思う。
この本を読んで、ふと、思ったけど、広島の災害ボランティアは根付かないだろうな・・・
東北のボランティアの場合、意識してないと思うけど、都会の青年にとってはフルサトづくりになり得たが、広島では住宅地ということもあり、それはありえないかと。だから、受け入れの難しさもあり、表面的な活動に終わるんじゃないかと思いました。