弱さの思想 高橋源一郎&辻信一著 |
弱さからスタートして、街づくりをするなんて!!
<抜き書き>
・「パワー」は「フォース」と違って、内なる力のことです。たとえば種子は木となる潜在的な力を持っている。そればパワーです。人間はだれでもブッダやガンディーのように、偉大な人になれるパワーを持っている。これこそが真の強さです。
・シューマッハはこういったーわれらは柔和な道と非暴力の心を求める。小さいものはすばらしい「スモール・イズ・ビューティフル」
・自然の猛威を前にした人間社会の弱さ、自然に対する支配としての科学技術が孕む弱さ、自然を外部性として閉め出すことによって成り立つ経済システムの弱さ、自然と切り離されたものとしての人間の弱さなどが暴露された。いわば、近代文明の「強さ」であったはずのものが「弱さ」へ転化したのである。
・動けなくなった子どもを支えていくのは、ぼくしかいないでしょう?「自分しかできないことがあった」という気づきが大きいかもしれない。ぼくは「弱さ」の研究を始めた時に、そういう自分のかけがえのなさみたいなものを知る機会になるんじゃないのかな、と感じたんですね。
・鶴見さんはこう答えている「生きるっていうことは最後に無に没してしまうわけで、当然それが敗北なんです。その間にサクセスストーリーを構築しようとすれば、どうしても見たくないものが入り込んでくる。・・・元々、失敗するようになっているものなんですから。だとすれば成功は失敗が繰り返された結果であり、成功はむしろ失敗の型で出来上がっている」
・(同じく鶴見さん)人生において「失うことが得ることである」という見方が非常に重要であるということです。
・「原子力発電、あれはそもそもだめだよ。あれは原理はやかんでお湯をわかすのといっしょなので、筋が悪い技術だから使うべきではなかった。ああいう技術的確信がないものを産業としてやってきたのは、軍事転用が可能だからだけで、科学的にだめなんだよ」
・祝島には、老人で、しかも一人暮らしの人ばかりです。都会では、そういう人を放っておくか施設に入れるけど、島では、老人たちが集まってしゃべったり、病気になったら誰かが手伝いに来てくれる。島では意識しないうちに、降りていく社会のきれいな終わり方はこうだよ、という暮らし方をしている。
・福島の絶望的な事態をしっかり受け止めきれないからこそ、シフトすればなんとかなるって考え方が出てくるんじゃないかって。絶望を、敗北を抱きしめる前に、もうさっさと希望を語りはじめる。そういうふうに語られるシフトって、たいがい技術的なことなのね。原点まで戻って、見直すことがしにくいし、苦手なんです。
・世界がホスピスみたいな場所って? イギリス、マーティン・ハウス
・一番存在の弱い子どもが、周囲をそうゆう風に変えていくわけですね。死んでいく子供の前では、大声でどなったり、自己中心的なことを言ったり、聞きかじりのことをしゃべったり、くだらないうわさ話なんて、恥ずかしくてできないでしょう。
・精神病院が街の真ん中にある町 オランダ・エルメロ−の町
歴史をたどってみると、どうもこの街は、精神病院のまわりに形成されてきたらしいんです。
・エルメロ−は、障害のある人たちを中心にして町をつくったらどうなるのかという実験でしょ。
・町が精神病院を統合したのではなく、病院が町を統合する。健常者の方が障害者の側に統合される。いわば・・・弱さが強さを統合する。
・「弱さ」を中心とした共同体は、・・・・共通点がありますね。ひとつは最初から明確な方法論があって始めたわけじゃないということです。現実があまりに過酷で、社会がそれに対応しきれてないから、現場の人のやむにやまれぬ思いが緊急避難的に作った場所であるわけです。そして、やっているうちに、「ここはなんか世間とは違う原理になっているよね」と気づいた。
・宅老所「井戸端げんき」
「人に迷惑をかけることは、すばらしいことなんだ。それが人と人とはつなぐんだから」というのが遠藤さんの考えで、みんなこの哲学に触れて、「自分の弱さを肯定できるようになる」。これが、後の「宅老所」づくりに大きな影響を及ばしたと、伊藤さんは言っています。
・宅老所で子どもと老人の両方を預かるようになると、高齢者と子どもが一緒にあそびはじめて、どちらからともなく笑い声がではじめる。老人は子どもの世話をすることで元気になるし、子どもは老人に甘えたり。
・そこで考えてみると、そもそも多様性そのものがじつは「弱さ」ではないか。多様であるってことは非効率ですからね。
・人類学者グレーバーは、「利他」というもが、じつはとても用心深く、時には狡猾なものだと言うわけ。多くの伝統社会には、人に「助けられる」ことで、上下関係がつくられ、それが支配/非支配の関係になること、そして自由が奪われることに対する警戒心が人々の心の中にある、と。
・一般の介護の施設って、変な平等主義があるでしょ。でも、伊藤さんは「そんなの無理だ」って言い切ってします。
・「べてるの家」が大きくなって、家族が訪ねてくる、スタッフが集まる、世界中から注目されて人が集まるようになってしまった。まさに「べてる効果」で町に元気が出てくる。
・まさに「障がいを真ん中にした町」状態になりつつある。
・今の子どもたちはある種の身体感覚が乏しい。「草食系」っていう言い方をしてますけど、身体感覚が乏しい代りに、繊細で、ぼくたちと違うなあ、と感じます。
・でも、ぼくらが「あの戦争」というと、彼らはちょっと、言いにくいなっちゃう。彼らは、あの戦争も含めて「この戦争」もあると言っているんじゃないかな。そして、「あの戦争」と言っている人たちは「この戦争」に気づいていないと言いたい。
・山伏修行(辻信一さん)、一言でいうと、「身体知」を呼び起こすよう経験をしたかったからかな。
・人間ならだれしも向かっている老や死という弱さをなんとか循環型のものにし、再生していくことを身をもってやるのが山伏ではないのかと。・・・民衆は自らの「弱さ」に向き合いながら、しかしその「弱さ」のゆえにコミュニティーを形成し、家族を形成し、そしてなんとか補いあって生きている。そしてそれを支える土台である自然界との間をつなぐ自然界との間をつなぐ役割を、山伏という人たちが意識的に行っている、ということなんだろうと思う。
・中国から不浄の思想が入っている以前は、月経は神なるもの、もっとも神々しいものだった。・・男は山に入らないと穢れが落ちないんだね。
・鶴見さんの本を読んでいると、・・・いい意味でで裏切りを感じる。それは、彼の言葉が身体でつくられた言葉なので、納得させられるんだと思います。
・現代社会っていうのはたった一つの答えがあるとみなして、全ての人がその答えを見つけて、問題解決しようとしている。でも、実際には答えは一人ひとりの経験、居場所、個別性の中にあるんですね。
・清水義晴さんの著書、タイトルが「変革は弱いところ、小さいところ、遠いところから」(太郎次郎社)
・「勝たないこと」と「敗北力」は密接な関係があると思うんです。「弱さの思想」というのは、あえて勝たないという考え方。「勝たないし、負けない」。「勝ち負け」そのものを超えることではないのかな、と。これは、人類の最初からの根源的な知として、我々に備わっていたのではないのかと思うのです。
・地方自治体は、みんな競争している。競争をすれば、敗者がいる。実際は、ほとんどが敗者になるんです。・・・どっかが勝つということは、どっかが負ける。結果としてはみんな負けるのに、それに気がつかないまま、競争から降りられないいう事態に陥っています。競争は、内側から共同体を滅ぼしていくんです。
・そこで祝島なんですが、ここは競争から降りているんです。自然に人口が減っていく。そうして小さくなった共同体をお互いに支え合うことで、残りの時間をいかに有益に過ごすかということに資源を投入する。そこで競争は行われない。負けを受け入れているんです。
・ただ面白いのは、そういう生きる戦略を変えた島に、人が戻ってきたことです。・・・この場所なら生きたいと思う若い人が出てきた。
・老いを抱きしめる。死を抱きしめる。乏しくなっていく資源をみんなで分け合うことで抱きしめるというやり方が、この国に一番必要なものじゃないのかと僕は思うんです。
・今現実世界に起こっているのは、経済の土台である自然環境そのものが限界にきていて、おまけに「勝ち組」だったはずのいわゆる先進国では少子高齢化が進み、今後膨大な数の人たちが引退するととともに社会保障が破綻すると言われている。すでに、社会的にも、環境的にも、破綻の兆しがたくさん出てきていますよね。
・経済という神話からぬけ出す。競争に勝つことと田舎を出ることはセットになっていて、これを繰り返し読んで、ぼくたちは善きこととして受け止めるようになった。
・原発問題では、エネルギーを考えてこなかったという反省がぼくにもあります。構造的にいえば、水俣病といっしょですよね。いや、水俣病だけじゃなくて、近代日本が繰り返しやってきた地方に迷惑施設を作る施策です。
・ぼくには道は一つしかないと思う。それは、ローカリゼーションだ、と。グローバリゼーションの反対側にある言葉ですから、ぼくらのマインドセットそのものを丸ごと取り換えていくくらいの、根本的な転換になるだろうと思うのです。
・そう、ナウシカ、かっこいいですよね。清も濁も呑み込んで生きるのが人間なんだと。
・競争なんてものが、社会を覆いつくしたのは、歴史上ではつい最近のことです。言い換えれば、人間の歴史は、競争がなくても崩れなかった歴史でしょう。
・国家だけでなく、貨幣なんかなくても、貿易なんかしなくても、生態系にしっかり根ざしてきたのが、ほとんどの人類史ーーはやりの言葉でいえば、「99%」ですよ。もちろん、自然とのバランスを失って滅亡した社会も数かぎりなくあったわけですけど。
・いったん気づきはじめると、この社会を別の角度から見るようになる。そして、実際には恐ろしい競争が起こっていることに気づく。でも、ほとんどの人は、そういうことに気がつかないようにされている。
・「分配は人々の感情の快の領域を刺激したのである」とか、「分配行動が遊びと似た性格をもつ」とさえ言っている。
・押田成人という哲学者によると、人間から石ころまで、存在の本質は「ひらき」だという。そしてぼくが一番感動したのは、「ひらきは無償であります」という言葉なんです。
・同等の価値のやりとりではつながりが終わってしまうから、もらったものより少なくお返しするか、より多くお返しすることで、関係性を維持したり。これは、経済生活における「負けない知恵」であり、勝たない知恵だと思うんです。相手を支配しない知恵、そして支配されない知恵と言ってもいいし、弱きものが弱きものとして生きていく、「弱くある知恵」と言っていいと思う。
・本気でもっと経済を成長させると思っているのかな?「どこまで本気?」と訊いてみたい(笑)
さて、最後に、「勝たない・負けない」の知恵ですが、それは要するに、「勝ち・負け」という二元論から自由である、ということだと思うんです。
・弱さの思想というのは、その「強さ・弱さ」の二元論そのものを超えていくことですよね。この二項対立を溶かしていく、あるいは無効化していく。それが、社会を支配・非支配のない、よりよい場所へと変えていくのに役立つことになる、ということでしょう。