永続敗戦論 Ⅱ 白井聡著 |
これまでの戦後の歴史おいて国際的に承認されてきた領土問題についての原則に照らして、日中両者の主張にはそれぞれに分があると言わざるをえない。
・政府の問題に口出しをした、石原氏は、米国の問題が出てくると、たちまち「口出しはしない」と引き下がるようである。・・・「そのままでいい」ということは、尖閣五島のうち二島は、米軍の排他的管理下で「日本人の立入禁止」という現状を半永久的に続けて良い、ということでなのである。
・米国がソ連による千島列島の実行支配を暗黙裡に容認したがゆえに、原則からこのような逸脱(千島列島は日本領土)が生じたと見るべきであろう。ここで何より重要なポイントは、日本が千島列島と放棄することに同意した、という事実である。
・歯舞・色丹に関しては、これらが千島列島に含まれないという見解を吉田茂がだしており、説得性はそれなりにある。これに対して「国後択捉は千島列島ではない」という見解は、常識に逆らうかたちで作られた政治的こじつけにほかならない。
・サンフランシスコ講和条約締結当初の政府は、日本がすべての千島列島を放棄したとの立場をとっていたのにもかかわらず、その後立場を変更し、さらにその変更を隠蔽して国民を欺き続けている、ということにほかならない。
・竹島はカイロ宣言に言うところの「暴力及び貪欲により日本が略取した」領土であり、戦後日本が正当性をもって領有を主張出来る対象ではない。しかし、この問題がややこしいのは、尖閣諸島問題と同様に、竹島の編入が韓国の日本による保護国化と「背景として」行われたとまで言い切れるかどうか、微妙であるためである。
・竹島問題への日本政府の対応においてほかの二つと問題と異なっている点は、この件についてはだけは国際司法裁判所への提訴を積極的に打ち出しているところにある。・・・竹島問題については国際私法裁判所の検知を認める一方で、他の領土問題においてはこれに言及しないという姿勢は、ダブルスタンダードであるとの誹りを免れるものではない。
・船橋洋一は、拉致問題は、引き裂かれた同胞の分身を取り戻す「日本回復」政治の象徴となった。そこには、「われわれもまた被害者なのだ」という被害者意識がにじんだ。戦後一貫して、加害者呼ばわりされてきた国民にとってそれはある種のカタルシス効果を伴っただろう。
・「戦後」とは要するに、敗戦後の日本が敗戦の事実を無意識の彼方へ隠蔽しつつ、戦前の権力構造を相当程度温存したまま、近隣諸国との友好関係を上辺で繕いながらー言い換えれば、それをカネで買いながら、ー「平和と繁栄」を享受してきた時代であった。
・拉致問題ー「カネで解決出来ない問題」に国家レベルで初めて直面することを選んだのであり、その意味でも拉致問題は「世界を終わらせた」と言いうる。また、強硬派の政治家たちが大衆的人気を博する理由もここに見いだせるであろう。彼らの姿勢は、「カネによる解決」を策動する政治家よりも「筋が通った」、「純真」なものと映るからである。しかしながら、ここで肝銘されるべきは、自らが被害者になったときのみ「筋を通し」、加害者の立場のときには、「カネで解決する」という姿勢は、ダブルスタンダードにすぎない、ということである。
・安部首相の発言の非論理性・無根拠性は、悲惨の一語に尽きる。なぜ憲法九条がなければ拉致被害を防ぐことができたと言えるのか、そこには一片の根拠もない。現に、中国や韓国は、・・拉致被害を防ぐことはできなかった。・・・首相の「拉致問題解決への意欲」と評されてきた姿勢の本質は、被害者の救出を目指すものではなくこの問題の政治利用にこそある、みなさざるを得ない。その政治利用の意図は、平和憲法の改定によって敗戦のトラウマを払拭すること、言い換えれば、「敗戦の否定」をやり遂げることである。
・一方で、潜在的な戦争の露呈によって、「戦後」は確かに終わった。ところが他方で、「戦後」を事実上終わらせることにおいて、「戦後」の本質が継続されることを最も強く願い、またそれを体現する人物・勢力が相も変わらず権力の枢要に位置しているのである。
・昭和天皇の戦争責任を問わなかった米国の政策が「善かったか悪かったか」という道徳的な問い自体が、無意味なのである。国家の政策は、ましてや外国に対する占領政策は、道徳とは根本的に無縁である。
・問題は、日本が政治的・経済的・軍事的な対米従属を強いられているとして、その責は、われわれ国家・社会の側にある、ということを徹底的に自覚することにある。
・領土問題に典型的に現るように、対アジア関係になると「我が国の主権に対する侵害」という観念が異常なる昂奮を惹起するのはこの精神構造ゆえである。無意識に領域に堆積した不満はアジアに対してぶちまけられる。言うならば、それは「主権の欲求不満」の解消である。
・歴代の自民党政権が、米国から難題を振り向けられたとき、要求をかわすために平和憲法と社会党の強力さを対米交渉の際の頼みの綱としていたことは、周知の事実である。
・日本の戦後民主主義は、冷戦の最前線を韓国・台湾等に担わせることによって生じた地政学的余裕を基盤に擬制として成立可能となったものにすぎなかった。
・どう理屈づけしようとも、参拝は東京裁判に対する、すなわち米国を筆頭とする全連合国に対する不満のメッセージたらざるを得ない。
・安倍は、2012年に第二次安倍政権を発足させるとともに、従軍慰安婦問題についての河野談話(1993)ならびに植民地支配と侵略についての村山談話(1995年)に対する見直し、新見解の提示を打ち出したが、これに対し、米国の有カメディアが機敏な反応を見せて厳しい批判を加えるに至っている。こうした動きが意味するものは明白である。要するに、堪忍袋の緒が切れかけている、「愧儡の分際がツケ上がるな」、というわけである。
・(石破氏)「あの戦争の実態を検証しないまま、集団自衛権の行使の議論を始めるこ」とは戦死者に対する冒涜である、と言う。
・言うまでもなく、われわれは単に被爆したのではない.原爆を落とされることは大災とは異なる。この国は、負け戦の果てに「核攻撃を受けた」のであって、言い換えれば、かかる攻撃を受ける事態を自ら招き寄せたのである。
・外務省・吉田首相は、朝鮮半島情勢の切迫を背景に、米国にとっても軍の日本駐留が死活的利害であることを十分に認識し、「五分五分の論理」を主張する準備と気構えを持っていた。しかし、この立場が結局放棄されるのは、昭和天皇が時に吉田やマッカーサーを飛び越してまで、米軍の日本駐留継続の「希望」を訴えかけたことによる、と豊下は言う。
・つまり、日本社会の大勢にとって、「絶対平和主義」は、生命を賭しても守られるべき価値として機能してきたのではなく、それが実利的に見て便利であるがゆえに、奉じられてきたにすぎない。
・問題は、日本の保守勢力の主流派が、このような正論(日米同盟の必要性・基地の必要性・核の傘の必要性を国民に納得させること)義務を放棄してきた、というところにある。
・「あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである。」(ガンジー)