幸福な食堂車 水戸岡鋭治の「気」と「志」 一志治夫著 |
九州JRも北海道JRも、同じようなスタートだったはずなのに、彼我の差ができたのは、リーダーの有無があったんですねと納得です。
しかし、デザイナーがこんなに力仕事だったとは、分かりませんでした。きれいな案だけをだしているのかと、簡単に思ってました。
いろいろなことが、詰まっている本だな〜、思ったり凄い人だった!
ああ〜、九州の列車に乗りたくなった!
・街を直すということは、街に住んでいる人の気持ちを直すことです。
・水戸岡は、基本的にどんなところにも、「5つのS」を持ち込む。整理、整頓、清掃、清潔、しつけである。
・「私は何も自分が好きだから木をたくさん使っているわけではないのです。プラスチックと使うとゴミになって、次の世代に残すことになるでしょ。原子力と一緒で・・・」
・平野が少ないとか、鉱物がとれないとか、狭いとかもちろん他の国に劣るところはあるけど、先人たちは知恵で補ってきた。
・想定できることだけで計算する、だから間違う。基本的にはお客さんに対して、いまだかってないものを提供し、サービスし、プレゼントするだけではないのか。そのプレゼントがすごいから、結果的にお客さんが増えたり、ファンが増えたりする。しかも、そのプレゼントは、お金を掛ければいいというものではなく、知恵の問題なのだ。・・・その知恵を出すということが理解できないから、ひとくくりに危険だ、となって片付けられてしまう。・・・いま自分が持っている能力を全開にして、いまだ見たことのないようなプレゼントをつくっていく。経済ではなく、心のそろばんをはじく。それこそが自分のデザインの肝なのではないかーー
・見方を変えれば、このときのJR九州はそれほど、自由闊達だったということである。
・開業日に水戸岡から言われたことが忘れられない。「当日乗るJR九州の社員には、乾いた雑巾を持たせてくださいね。自分の車だから、当然ですよね」と言われたのだ。
・「旅をどう過ごすか」という問いかけからすべてが始まる。・・・入り口から出口の間を埋める細かな部分に思いを込めて本気で手間ひまかけるのがデザインであり、それを思い遣って大切に生かすことが、大げさにいうと「文化」ではなかろうか。車両にせよ、建物にせよ、古いものに手を入れて美しくよみがえらせることは、きわめて洗練された文化だと思う。
・「ソニック」には、遊び心があふれていた。そしてそこには水戸岡の意匠が満ちていた。見ればみるほど、細部まで細かくデザインされていて、何回見ても飽きないようになっている。
・日本の生産現場が整理整頓されていないのが許せない。自然からものをもらって生産する人たちが自分たちの環境や船のような道具をきれいにしていないのはダメなんじゃないか
・これまでも文化財に指定したり、博物館に展示したりすることで文化を継承しようとはしてきた。しかし、水戸岡に出会ったことで、廃れないためには展示ケースに入れておくだけでなく、どんどん使うしかない、ということに気づかされた。
・材料を丁寧に使うこと、素材をどう無駄なく使うか、そんなことを生活に取り込んできた日本人が、たったこの60年でそれらを捨ててしまった。
・デザインとは、構想し、検討し、考えるということの繰り返しに他ならないと水戸岡は思う。その選択の繰り返しをする中で、点数の高いものを少しずつ残していく。・・・手間ひまかけながら生み出し、昇華していくものなのだ。
・日本社会の停滞は、「働かないおっさん」にあると水戸岡は看破する。天下り、働かず、高給をとり、訳知り顔でもの言う人々。これが前に進もうとする人々のスポードを鈍らせ、モノの値段を高くする。そんな「日本的な腐れシステム」を水戸岡は忌み嫌っていた。
・駅舎や街をつぶさに見て回った。そこで、痛感したのは、田舎が力を持たないと日本は生き残れないということだった。田舎の美しさ、よさを広め、儲け、力をつけながら、すこしずつ変えていかないと日本に未来はない、と思っていた。
・明治36年開業、肥薩線最古の嘉例川駅を、「素朴で凛とした駅」にリニューアル
・水戸岡は、ただ古いものを残せばいい、と考えているわけではなかった。その地域に住む人が残す必要があると思うものは残せばいいし、地域の人が理解していないもの、欲しくないものは必ずしも残す必要はない。無理に残しても地域の負担になるだけだからだ。
・唐池の万物に対する評価基準は、「気に満ちているか」である。その点でも、水戸岡のデザインは文句なかった。「気」とはおそらく、手間のかけ方なのだろう、と思う。細部へのこだわり、最後まで手を抜かぬ意識の高さ、そんな水戸岡のデザインに呼応して、唐池は、「最後の1%に魂をこめないと完成はないんだ」と社員にはっぱをかける、「命を吹き込むこと」こそが水戸岡のデザインの核だと唐池は思っている。
・「デザインは、色形の問題ではなく、思いの問題、気持ちの問題、行き方の問題、すなわち生きている姿勢そのものをデザインというのだ」
・彼ら(既存のゼネコンと設計事務所を使っていた役員から)と相まみえても水戸岡が折れないのは、九州の土着文化、そこで暮らす人々のことを思い描き、そのためのデザインをしているという矜持があるからであろう。思いの強さが違った。
・面倒を嫌う人々は、とにかく、統一化、単一化、安全性だけを求める。その結果、無味乾燥な、心通わぬ、実につまらぬものが世にあふれるわけだが、彼らはそれで、満足なのだ。どんなに人々の心が荒もうが関係ない。その場が丸く収まり、ことが起きなければいい。これは日本中を覆う貧しき思想である。
・相手にデザインを提供するということは、サービスの仕方から部屋の心地よさといいたソフトも運ぶことだと水戸岡は考える、だから、若いデザイナーたちには一見デザインとは関係なさそうなことをさせる。・・・すべては生活の延長であり、ちゃんと生活ができて、初めてデザインが可能になる。
・水戸岡が若者に提示したいのは、100パーセントやり尽くしたというシーンである。辿り着くまでの修羅場を示したい。修羅場をくぐらせたい。いいものができたかだけでなく、全力を尽くすということをどうしても見せたいのだ。
・水戸岡がクライアントに提案した企画はほとんど通る、言ったことがそのまま現実になる。「クライアントの意見なんか聞くな、客の立場だけを考えろ」
・限界がつきまとう予算をどこに一番使うかと言ったら、お客さんが一番触れる椅子に使うんです。
・「ぼくたちにできることには限界がある。現場のトップに商業のこと、使い勝手、予算、視覚的なデザイン、そういうものがわかる人がいないとどうにもならないんです。いくら言ってもわからない、ということも多かった」
・「残す残さないは本当に難しいんです。本当に良いものかどうか。本当に必要なものかということもあるけど、僕は残す残さないは、その地域の人の意識だから、仕方ないと思っているんです。いくら頑張っても、残らないものは残らないです。極端なことを言えば、あとなって、なくしたことを後悔しても、それは後悔すればいいんです。後悔が大事なんです。ああ、やっぱり失敗しちゃったと、今度はそうはいかないぞ、というのが大事で。・・・結局は、地域の人の思いの強さ、ということになるんです。」
・日本には地震があり、火山があり、台風が来るというように、もともと自然環境の厳しい国です。いかに自然を守りながら、自然と共存していくか、という生き方が日本らしい。ヨーロッパやアメリカの経済活動や文化活動をそのまま持ち込んで生きていけば、破綻がくるんです。もっと質素で倹約した仙人のような生活をしないと、この国では長く生きていけないんでしょうね。
・「戦後、これだけ皆でがんばってきたのに、この徒労感はすごいよね。経済も文化もすべて無駄づかいして、結局、消耗しただけじゃないか、と思う。文化も、財産も、何も残っていないじゃないですか。次の世代につなげることができなかったのは大人の責任ですよ。先を読むことができなかったエリートの無能さのせいと言ってもいい。エリートは大衆を喜ばすためにいるんじゃないんです。ある意味では大衆を苦しめるため、大衆に対して難しい問題を提起するためにいるんです。日本のエリートはそれを怠り、どんどん国民のレベルを下げてきてしまったんですね。象徴的なのは、常用漢字を3分の1にしたことですよ。道路には安全のためと看板を立て、信号機をやたらに作る。自分の命は自分で守れという教育をしない。そうやって、知力も気力も体力も低下させてしまった。ゼロからものを考える訓令をしないことは、もはやこの国の致命的な血管となっています。このままだと日本は立ちゆかなくなるのではないか、そう思うんです。
・アイディアがぽっと出たとかいう人がいるけど、そんなのウソだよ。これまで経験した中に、子供の頃から見たもの聞いたものの中に答えがあって、それをタイムトンネルを通って持ち帰ってきただけのことよ。その歩いて持ち帰ってくるというのにエネルギーがいる。・・・まるっきりの新商品なんてありえっこないんです。
・世間が求めないのに僕が自分からそれを表現するような性格ではない。・・・つまり頼んでくる人がいるかどうかがすべてであって、仕事というのは、人との出会いしかないわけです。仕事で一番大事なのは、どういう人と出会うか、それしかないのです。そのために切磋琢磨して、素晴らしい人に出会ったときに、その人がいいねと言ってくれるその瞬間のために、自分がそれまでの過去の実績を持って、この点数でどうでしょうかとやる。
・思考する筋力をつけておかないと、いざ考えなければならないというときに力を発揮できない。集中力を得られない。だから水戸岡は、何かわからないことがあっても、いきなりその道の専門家に尋ねたりしない。原理原則をまず自分で考えてみたいからである。自分で考え抜くと、まるで違う答えが出てきたりする。発見されたりする。ものの通りを理解しないとデザインへと進むことができない質なのだ。
・自宅にはスケッチブックが置いてあり、テレビを見ているときにも常に何かを描いている。テレビを見た景色を描き、人を描く。一度描き落としたものは、記憶に残っていていつか使う可能性がある、と水戸岡は思っている。
この列車は、カモノハシと、採用を争ったらしいです。こちらの方がスムートな感じがします。
本書に出てきた、水戸岡さんがデザインした、うまやの特別メニュー
野菜類中心の特別メニュー
「菜」コース 5,000円(九品程度)
※ 肉・魚介類は使用しておりません
唐津 川島豆腐店のざる豆腐
季節の前菜三種 盛り合わせ
汲み上げ 生湯葉の刺身
野菜 紀州備長炭串焼
米茄子 柚子味噌田楽
野菜の天麩羅 抹茶塩
季節の野菜の蒸しもの
有明海 あおさの焼きおにぎり茶漬け 香の物
ゆずシャーベット
※ 昆布だしを使用しております。