オリンピック、決まったのなら、この人の声のように・・隈研吾さん朝日新聞 |
2020年の東京五輪は、日本人がよほど感性を磨き直してのぞまないと、恥ずかしいものになる気がします。64年五輪の再来を単に夢見て、道路や巨大な建物づくりに狂奔するだけだと、話になりません。
望まれるのは、成長が終わり、高齢化が急速に進む日本に合う感性。ヒューマンでスケールの小さいものに価値を置く感性です。街づくりについて言えば、お年寄りや体が不自由な人に優しい街をつくること。
新国立競技場の8万人という規模も慎重に検討するべきです。大会後、維持・管理に困るような施設はやめ、仮設的なものを組み合わせるという手もあります。選手村は大会後、高齢者や障害者用の住宅に転用できる仕様にするとよい。64年五輪の代々木の選手村は、のちに青少年センターになりましたが、今回は晴海の選手村が高齢者・障害者センターになるわけです。巨大な道路を造る必要もない。クルマ社会から、弱者に優しい公共交通が充実した社会へ。五輪を契機にすればいい。
五輪に向けた街づくりは大会後を視野に入れるべきです。64年は成長モデルにあう東京をつくった。今度は成熟社会モデルにあう東京をつくる。そうなれば20年五輪にも意義があると思います。