横山晃さん 設計談話他 |
一度だけ、お話をお伺いに、横浜まで行ったことがありました。
設計図については、家族の意向で全面的に使用不可になったとの話は、ネットでみましたが、なぜなのでしょうか?非常に残念ですね〜
①外洋ヨットに入門する時など,艇の選択に迷う場合は,最低の外洋艇にアプローチするのが早道である。それを机上で発展させてもよいのだが、実艇経験を重ねて発展できれば、なおよい。
②この艇はぜいたくなイメージのクルーザーでないので、バイコロジー並みの「ツーリング」を本領に選んだ。
③行動性と安全性で最低線を探れば、大平洋横断コースには鹿島郁夫氏のくコラーサ>(5m)があるし、ホーン岬コースには青木洋氏のく信天翁>(6.5m)がある。
④居住性の「ガマン比べ」など必要でない。けれど、スポーツの実質、自分の野性を育てる、生き残る技能を磨く、野性的な人生を楽しむ、などを総合すると、ぜいたくよりも質素な方がメリットが多い。
⑤安全の面でも積み込み品は多すぎるよりも必要最少限の方がよい。人員にしても他人は少ないほど良い。 1人だけ、それとも家族だけの方が雑音や雑念が少なくなるし、落水の危険も減って、燃料搭載も少なくてすみ,それだけトラブルの要素が減る。
⑥性能と性格だけは、最低を望まない方がよい。最低線の船価の枠内で、最高の性格と最高の性能を望みたい。
⑦以上の方向に狙いを定め,マリングレード合板とエポキシ接着で自作に適した超軽量構造の設計を進めた。それは急変する気象の中で速攻戦を強行できるスピードと強風適性と凌波性(激浪中でも行動と操縦と生存を可能にする適性)、そして切り上がりの良さをめざした。
次は、何度、読んだか分からない、5mJOGの横山晃さんの記事です!
誰でも海へ乗り出して行く最初の時期には,人間と船と科学とを過信するけれど、海の現実は人間の一方的な挑戦を許さない。まず第一に風向も風力も波浪も、人力では制御できないのだから。人間は好むと好まざるに関わらず、大自然の変化を予測して方針を立て、大自然に適応するテクニックを武器とせねばならない。
科学の力で大自然を制圧するのに慣れている文明人にとって、大自然に妥協して順応するのは大変苦痛なのだが、海の現実の前に人力の限界を知らされ、<科学迷信>は打ち破られる。そして、もっと複雑で柔軟な智性と人間性の必要を知らされる。
そこでヨットマンは自分の智性とスタミナの限界に向かって挑戦せねばならない。そして孤独に耐えて自立する必要に迫られる。
一部のヨットマンはここまでも到達せずに「イカス」「カッコイイ」の段階で右往左往を繰り返すのだが、それは論外としよう。
このようにく自己への挑戦>に到達したヨットマンには次の課題として、「大自然を鏡とする方向」と、「競技の社会を鏡にする方向」と、2つのうちのどちらを目指すかという岐路が待っている。
私のセーリングも若い頃に日曜毎、早朝から日没までただ1人で海に暮らした2~ 3年間に最も上達した。私自身は決してトレーニングという態度ではなく野生の動物のように気ままに振舞い、隠やかな日には、寝ながら足で舵をとるうちに、何も見なくても風の変化や波のリズムの変化、他船の動静、天候の変化などを、虫や獣と同様に感知するようになり、セールは鳥の翼のように身体の一部となった。また,逆潮逆風に挑む何時間もの戦いの中でも、野性感覚と力量は鍛えられたに違いない。だが私は自分の上達には気づかず、人にすすめられて神宮競技に出場し、 レースの要領を知らず、マーク回航の順序も間かずに闇雲に走り出したために敗れはしたが、セーリング・スピードでは大概のヨットマンを追抜けることを発見した。
それでも結局はこのフネに生活する人間は野生動物の生態に戻らねばならないだろう。文明人の生態を海の上にまで持ち出そうとする人は、この種の艇には乗る資格が無い一。
この船も印象に残りますね、Sea Dolphin
2015/07/11追記
OLD SALT 横山氏設計の船について
シングルハンドは帆走の基本です。”良いクルーがいないから”ではありません。
”海が次になにを仕掛けてくるか?”それを読むために、海の経験の全てを独占して、身につける為です。
それがファミリーセーリングの条件です。
サバニ船型のこのヨットは、一クラス上の艇と一緒に行動できる船です。
一人きりで夕陽の海へ出てゆく人に、それとも、家族だけで帆を上げる人に、このヨットを贈りたいと思います。 横 山 晃