1600人の足 いやまだまだ |
障害であきらめていた人たちに、自分の力で自転車を走らせる喜びを。
1979年、36歳で東京都荒川区に小さな作業場を開いた堀田健一(69)はその後足立区に工場を移し、妻和子(70)と2人で奮闘した。体に備わった筋力を生かせる乗り物こそ、よりよく生きる手立
てだと信じて。
相変わらずお金はない。それでも、「いよいよだめだ」という時になると、不思議と自転車を予約したお客さんが内金をもってきてくれて食いつなぐことができた。
堀田夫婦はこの33年間で、3歳から90歳まで1600人の人たちに会い、2千台近くをつくってきた。
手でペダルを押す手動式、坂道を上るためのモーター付き、腕が不自由な人のために足で方向を操作できるもの・・・・・。考案した自転車は数十種類に及ぶ。
依頼者がくれた感謝の手紙は、段ボール何箱分になったろう。「息子が友だちと一緒に通学できるようになった」「世界が変わった」
神様はやはりどこかにいて、がんばりを見ているのかもしれない。
2006年1月、堀田は賞を受けた。時計会社のシチズンが主催する「シチズン・オブ・ザ・イヤー」。社会に貢献し、感動を与えた「無名の良き市民」をたたえるというのが賞の趣旨だ。活動が徐々
に新聞で取り上げられるようになり、「この人こそ」と選ばれた。
貧乏暮らしから突然表形式の舞台に立ち、堀田はほおをつねりたい気分だった。
賞金の100万円はすべて工場の機械の更新にあてた。工程を効率化して月に5、6台は生産できるようになり、食べるにこと欠く暮らしからはようやく抜け出した。
古希を迎える堀田は最近、残された時間に何をすべきか考えるようになってきた。もっと安くして、もっと多くの人に届けたい。「じゃあどうしたらいいか。これまでの蓄積や工夫が書いた私なりの答案を残し、誰かが意志を継げるように如きたらいいのかな」
いやいや、まだまだ。
「私も西平さんも、愛用者から『自分が死ぬまでは生きていて』って言われてる」
まだこれからさ-。13坪の作業場に、笑い声が響いた。