戸田幸男(65)が社長を務める戸田レーシングの工場だ。 |
レース用エンジンを中心に製造し、自社チームの拠点でもある。従業員は40人。欧州では「戸田パワ」で名が通り、英国の新卒大学生の就職も受け入れる。
戸田はブドウや桃を栽培する農家に生まれた。高校生のころ、バイクにテントを積んで鈴鹿サーキットに通った。二輪レースが目的だったが、そこでホンダFIの試作車を見て、「けた違いの爆音と速さ」にとりつかれた。
高校を出るとホンダ販売店のサービスエ場に就職。レースに出る客のメカニックも務めた。71年、23歳で独立し工場を建てた。戸田もFL500の車体を十数台造った。そこを石油危機が襲った。
「車体だけでは先がない」とエンジンのチューニング(調整)に軸足を移した。
戸田が思い描いたのは、コンストラクターの先輩吉村秀雄だった。吉村は当時、エンジンに触るだけでバイク車が遠くなる「神の手」の持ち主と言われ、メーカー車を負かしていた。戦時中航空機関士。「チューニングならサーキットから遠い小さな工場でも戦える」。戸田は市販車の高性能エンジンを改造し、国内チームに供給した。
81年には英国F3で戸田の調整したエンジンのチームが優勝した。英国進出を勧められたが断り、独自のエンジン開発に乗りだした。
「勝つと、すぐ飽きてしまう。昔からの性格は変わらないですね」。完成した独自エンジンで走る自社チームは87年、日本のF3シリーズで総合優勝した。その後も撤退、開発、再挑戦を繰り返す。
戸田の工場はいま旅客機の部品も造る。航空機とレース車の部品はともに量産せず、材料も加工技術も同じだ。
「欧州の我々のような工場はたいてい両方造っています」求めるのは、高性能と耐久性。戸田は常に新しい技術の先端を走ろうとしてきた