読書ノート 清冽 |
読んだ感想が全く、書かれていませんね〜
この抜書は、なんなんだろう、
せっかく、茨木さんを描いた本なのに、残念です。
とりあえず、1と2をまとめてみました!!
・「朝起きてね、今日もまた一日、人間をしないといけないと思うと疲れを覚えるのよ」
・「別れの手紙」
あの人も逝ったかと一瞬、たったの一瞬思い出して頂ければそれで、十分でございます。あなたさまから頂いた長年にわたるあたたかなおつきあいは、見えざる宝石のように、私の胸にしまわれ、光芒を放ち、わたしの人生をどれほど豊かにして下さいましたことか・・・深い感謝を捧げつつ、お別れの言葉とさせて頂きます。
・わたしのあらたに獲(え)しものは何々ぞ
わたしのあらたに失いしものは何々ぞ
・暗い海原のまっただなかでたった一人もがき苦しむようなのが、どんな時代でも青春の本質なのではないか?と思うところがある。それほど、自分を掴まえ捉えるというのは難しく苦しい作業だ。
・山根基世さん:ゲストとのトークは好きな仕事だった。人は言葉を交わすなかで心を通い合わせることができる。それは実に、心地よい、浄福ともいえるときなのだーーということを知ったのはいつのころだったか。言葉は、中身があってこそ美しい。
山根が好きな「汲む」より一部
すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナが隠されている きっと・・・
・山本安英さんの色紙
静かにいくものは
すこやかに行く
健やかにゆくものは
とおくに行く
・俳優とはつねに、”これから”を目指す存在なのだと、私は思っています。ある時、ある舞台に咲かせた花は、瞬間に消え去って、何ひとつ跡をとどめるものはありません。いつも”これから”をもとめていくより仕方がありません。茨木さんは、あまりにも、ちゃんと生きていこうとする人である、ということを私はどうしても言いたくなってしまうのです。
・詩人茨木のり子の根幹をなすモチーフが、<私を生きる>、裏をかえせば<あなた自身であれ>であることを思えば、構造とモチーフの双方から、処女詩集はその後の茨木の詩世界を十分に暗示している。
・A級戦犯を国会議員として選出し、やがて首相の地位を与えたのは、間違いなく日本の国民である。価値観と歴史観は人それぞれであるが、開戦時の閣僚を戦後社会のリーダーとしてしまう曖昧さ、無責任さ、あるいは融通無碍というべきか、なんとも奇形的である。
・私の子供の頃には、娘をつぎつぎ売らなければ生きてゆけない農村地帯があり、人の恐れる軍隊が天国のように居心地よく思われるほどの貧しい階層があり、うらぶれた貧困の寂しさが逆流、血路をもとめたのが戦争だったのでしょうか。貧困のさびしさ、世界で一流国とは認められないさびしさに、耐えきれなかった心たちを、上手に釣られ一にぎりの指導者たちに組織され、内部で解決すべきものから目をそらさされ、他国であばれればいつの日か良いくらしをつかめると死にものぐるいになったのだ、と考えたとき、私の経験した戦争(十二歳から二十歳まで)の意味がようやくなんとか胸に落ちたのでした》
・(金子光晴は)香箕を供えると、茨木の方を向いてこういった。
「いまは八方ふさがりに思うでしょうが、そんなことは何でもないの、心配しなくっていいの、僕だって八方ふさがりばかりだったけどね、こうして生きてきたんだから。その人間になんらかの美点があれば、かならず共同体が助けてくれるもンです」
・清談をしたくおもいます
物価 税金のはなし おことわり
人の悪口 噂もいや
我が子の報告 逐一もごかんべん
芸術づいた気障なのも やだし
受けうりの政談は ふるふるお助け!
日常の暮しからは すっばり切れて
ふわり漂うはなし
生きてることのおもしろさ おかしさ
哀しさ くだらなさ ひょいと料理して
たべさせてくれる腕ききのコックはいませんか
コックはいませんか
私もうまくできないので憧れるのです
求む 清談の相手
女に限り 年齢を問わず 報酬なし
当方四十歳(とし やや サバをよんでいる)
奥深いところで、深沈と息づく天然の真珠のようなもの。
今までその所在に気がつかなかったのは、なんと勿体ないことだったろう
・私の脳裡に「人間の質」という言葉がゆらめき出て、ぴたりと止まった。あまり意識してこなかったけれど、思えば若い頃からずっと「人間の質とは何か?どのように決定されるのか?」ということを折々にずいぶん長く考えつづけてきた、見つづけてきた、という覚醒が不意に来た。
・死ぬ日まで空を仰ぎ
一点の恥辱なきことを、
葉あいにそよぐ風にも
わたしは心痛んだ。
星をうたう心で
生きとし生きるものをいとおしまねば
そしてわたしに与えられた道を
歩みゆかねば。
今宵も星が風に吹き晒されている。 尹 東柱 伊吹郷訳
・浅川 巧氏にむけて
明晰な論文や弾劾文を発表すること、政治運動をすることだけがすべてではない。その時々の現象的な運動にかかわるだけがすべてではないだろう、言葉少なに、自分のできる範囲でまわりに尽くし、黙って死んでいったその生きかたには、なぜか私は強く惹かれる。
・茨木さんの詩のもうひとつの特色は、言葉で書いているのではなくて、人格で書いているということだ。この人の持っている人間性そのものが、じかに表現に出ている
・意義を正した端正な姿かたち、しぐさ、たたずまい、そういうものを指すのではなく、長い歳月をかけて自分を鍛え、磨き抜いてきた、底光りのするような存在感と行ったら、わたしの言いたい品格にやや近づくだろうか。かなりの年齢に達しなければ現れない何かである。木下順二さんについて。
・そして皮肉にも、戦後あれだけ論議されながら一向に腑に落ちなかった<自由>の意味が、やっと今、からだで解るようになった。なんということはない、「寂寥だけが道づれ」の日々が自由ということだった。この自由をなんとか使いこなしてゆきたいと思っている。
・「私、もうじき八十歳よ。あと一年ぐらい寿命があればいいと思っています。でもよくがんばってるでしょう。でも誰もほめてくれないの。薫さん、ほめてね」
・彼女が強い人だったとは私は思わない、ただ、自分を律することにおいては強靭であった。その姿勢が詩作するというエネルギーの源でもあったろう。たとえ立ちすくむことはあったとしても、崩れることはなかった。そのことをもってもっとも彼女の<品格>を感じるのである。
・日々の出会いを雑に扱いながら、永訣の儀式には最高の哀しみで立ち会おうとする人間とはいったいなんだろうか?席を変えてお酒などのむ時もしみじみ故人を偲ぶでもなく、仕事の話し、人びとの噂で呵呵大笑、あっけにとられるばかりである。好きな人であればあっただけ行きたくなくなってくる。
・自分を律し、慎み、志を持続してなすべきを果さんとするーーーそれが、茨木のり子の全詩と生涯の主題であり、伝播してくるメッセージである。
・<倚りかからず>
もはや できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや できあいの権威にも倚りかかりたくない
ながく生きて
心底学んだのはそのくらい
自分の耳目
自分の日本足のみで立っていて
なに不都合なことやある
よりかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ
・そして、いい詩は、その言語を使って生きている民族の、感情・理性のもっとも良きものの結晶化であり、核なのだと改めて思う。
奥深いところで、深沈と息づく天然の真珠のようなもの。
今までその所在に気がつかなかったのは、なんと勿体ないことだったろう
・私の脳裡に「人間の質」という言葉がゆらめき出て、ぴたりと止まった。あまり意識してこなかったけれど、思えば若い頃からずっと「人間の質とは何か?どのように決定されるのか?」ということを折々にずいぶん長く考えつづけてきた、見つづけてきた、という覚醒が不意に来た。
・死ぬ日まで空を仰ぎ
一点の恥辱なきことを、
葉あいにそよぐ風にも
わたしは心痛んだ。
星をうたう心で
生きとし生きるものをいとおしまねば
そしてわたしに与えられた道を
歩みゆかねば。
今宵も星が風に吹き晒されている。 尹 東柱 伊吹郷訳
・浅川 巧氏にむけて
明晰な論文や弾劾文を発表すること、政治運動をすることだけがすべてではない。その時々の現象的な運動にかかわるだけがすべてではないだろう、言葉少なに、自分のできる範囲でまわりに尽くし、黙って死んでいったその生きかたには、なぜか私は強く惹かれる。
・茨木さんの詩のもうひとつの特色は、言葉で書いているのではなくて、人格で書いているということだ。この人の持っている人間性そのものが、じかに表現に出ている
・意義を正した端正な姿かたち、しぐさ、たたずまい、そういうものを指すのではなく、長い歳月をかけて自分を鍛え、磨き抜いてきた、底光りのするような存在感と行ったら、わたしの言いたい品格にやや近づくだろうか。かなりの年齢に達しなければ現れない何かである。木下順二さんについて
・そして皮肉にも、戦後あれだけ論議されながら一向に腑に落ちなかった<自由>の意味が、やっと今、からだで解るようになった。なんということはない、「寂寥だけが道づれ」の日々が自由ということだった。この自由をなんとか使いこなしてゆきたいと思っている。
・「私、もうじき八十歳よ。あと一年ぐらい寿命があればいいと思っています。でもよくがんばってるでしょう。でも誰もほめてくれないの。薫さん、ほめてね」
・彼女が強い人だったとは私は思わない、ただ、自分を律することにおいては強靭であった。その姿勢が詩作するというエネルギーの源でもあったろう。たとえ立ちすくむことはあったとしても、崩れることはなかった。そのことをもってもっとも彼女の<品格>を感じるのである。
・日々の出会いを雑に扱いながら、永訣の儀式には最高の哀しみで立ち会おうとする人間とはいったいなんだろうか?席を変えてお酒などのむ時もしみじみ故人を偲ぶでもなく、仕事の話し、人びとの噂で呵呵大笑、あっけにとられるばかりである。好きな人であればあっただけ行きたくなくなってくる。
・自分を律し、慎み、志を持続してなすべきを果さんとするーーーそれが、茨木のり子の全詩と生涯の主題であり、伝播してくるメッセージである。
・<倚りかからず>
もはや できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや できあいの権威にも倚りかかりたくない
ながく生きて
心底学んだのはそのくらい
自分の耳目
自分の日本足のみで立っていて
なに不都合なことやある
よりかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ
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