日本の大転換 原発の超克と渾身の文明論 |
講義の内容をまとめよう、まとめようとしている内にもう何週間もたってしまった。
その時に購入した本をやっと読み終えました。9月、8,9、10がその日でした。
確かに、この本の中には、単に対策だけでなく、新しい考え方お大きなロマン?を感じました。
・この出来事を境として、日本文明が根底からの転換をとげていかなければならなくなった、という事実である。もとどおりの世界に「復旧」させることことなどはとうていでいないし、また、してはならないことだ。
・なぜか、それは原子力発電そのものが、生態圏の外部に属する物質現象から、エネルギーを取り出そうとする技術であることに原因がある。
・地球を包み込む「太陽圏」の物質現象が生態圏に及ぼしたものの影響を、長い時間をかけてでも癒していく能力を、私たちの生態圏はもっていないのである。
・地球科学と生態学と経済学と産業工学と社会学と哲学をひとつに結合した、新しい知でも生まれない限り私たちが直面している問題に、正しい見通しをあたえることなどは、できそうにない。
・わたしはその新しい知の形態に、「エネルゴロジー=エネルギーの存在論」という名前をあたえようと思う。・・・わたしたちは、自分の力で、来るべき知の形態であるこのエネルゴロジーを、創造してみせなければならない。そうでないと、私たちには未来がない。
・太陽から放射されるエネルギーの一部は、地球上の植物のおこなう光合成のメカニズムをつうじて「媒介」されることによって、生態圏に持ち込まれている。
・ところが、原子炉はこのような生態圏との間に形成されるべき媒介をいっさいへることなしに、生態圏の外部に属する現象を、生態圏のなかに持ち込む技術である。
・文明学者アンドレ・ヴァラニャックは、人類の経験したエネルギー革命を、つごのような七つの段階に分類する。
第一次革命:火の獲得と利用
第二次革命:農業と牧畜が発達して、いわゆる新石器時代がはじまる。
第三次革命:家の「炉」から冶金の「炉」が発達して、金属が作られるようになる。
第四次革命:火薬が発明される。
第五次革命:石炭を利用して蒸気機関を動かす技術が確立される。
第六次革命:電気と石油。十九世紀の西欧では、電気が新しいエネルギーとして発達をはじめる
第七次革命:原子力とコンピュータの開発。いずれも第二次世界大戦の刺激によって発達した技術である。
・一神教はその生態圏に、ほんらいそこに所属しないはずの「外部」を持ち込んだのである。モーゼの前にあらわれた神は、無媒介、生態圏に出現する。そんな神を前にしたら、生身の人間は心に防護服でも着装しないかぎりは、心の生態系の安定を壊されていまうだろう。
・一神教が思考の生態圏に「外部」を持ち込んだやり方と、きわめてよく似ている。思考の型として、まったく同型である。
・原子力発電は生態圏内部の自然ではないのだから、それをあたかも自然の事物のように扱うことは許されない。いわんや、それが「ぜったいに安全である」ことなどは、ありえようがないのである。
・原子力と資本主義は、生態圏にたいする外部性の構造によって、おたがいが兄弟のように似ている。生命的な生態圏と精神的な生態圏にたいして、両者は類似の外部的なふるまいをおこなうことによって、これら二種類の生態圏に深刻なリスクをもたらすのである。
・二種類の生態圏にとって、資本主義システムは、つぎのような三重の意味でのリスクを発生させる。
①市場メカニズムっで運動する資本主義は、人間の心がtつくるサブ生態圏である「社会」を、解体する可能性をはらんでいる。これは市場と社会が異なる理法で作動していることに起因している。
②資本主義は成長を続けなければ、衰退ないしは停止に向うシステムである。資本主義は大量生産と大量消費を世界に要求する。
③原子の「炉」を、もっとも重要なエネルギー源とする産業形態を発達させることによって、生態圏をリスクにさらす。生態圏の外部に属するものを内部に持ち込む技術であるが、日本ではそれがまるで別の種類の「新しい自然」であるかのようにして、資本主義システムを稼働させる「炉」として、生態圏のなかに設置されてきたのである。それが異常なシステムであることを、地震と津波という生態圏の強度現象が、まざまざと私たちに見せつけてくれた。