日経ビジネスオンラインより 菅さんに関してだったけど別な他人のことを・・・ |
「名古屋~ホノルル便が就航した時、ホノルル空港で出迎えてくれた各支店の支店長や全日空の役員、そして整備さんたちが、『念願のハワイ路線に出られて、本当によった』と泣き、搭乗していたキャプテンや先輩CAたちも『ホノルル就航は、全日空の夢だった。若狭さんの念願が叶った』と泣いていた」
運輸省(現・国土交通省)の役人から天下り、創業者である美土路昌一氏や、第2代社長の岡崎嘉平太氏らとともに全日空を支えてきた中心人物の一人である若狭得治氏は、まさしく後世まで語り継がれた人物だった。
『ロッキード事件』で議院証言法違反と外為法違反で逮捕・起訴され、世間からは批判を受けたものの、社内では「若狭さんなくして会社の未来はない」とばかりに事件後は退陣どころか担ぎ出され、全日空会長、名誉会長就任と、世間の厳しいまなざしとは裏腹に社員たちから絶大なる信望を得ていたのである。
私も幾度となく、若狭氏が「国際線就航を実現させるために、いかに熱意をもって社員たちのことを大切にしながら尽力したか、いかに私利私欲なく質素な生活を送っていたか、いかに的確に判断し実行するために汗水流したか……」を先輩CAから聞かされた(先輩もその先輩から語り継がれていた)。
「ホノルル路線があって、初めて国際線のキャリアだと言える」と常々社員たちに熱く語っていたリーダーだったから、ホノルル空港にANAの文字が描かれた機体を目にして、「若狭さんの念願が叶った」と涙したのだ。
若狭得治さんと言えば、ロッキードの悪い面しか知らなかったので、転載してます。
ちょっと、ビックリしました。