もう5年も前になるの、この本を読んだのは、人生のほんとう 池田晶子さん |
自分の死というのはない、だから生もない
死んでしまった人から、人は死の話を聞くことは絶対にできません。ですから我々が生きている限り、死ぬことは絶対に知らない。考えようとしても知りようがないですね。だって生きている人は誰もそれを知らないんだから、。・・・・・・この世界のどこにも自分の死というものは存在しない。
アンチエイジングの矛盾とか、面白い項目もあります。
「青春とは」では明らかに青春のほうが価値が高いとされています。歳をとっても心が若かければ青春なんだ、というのはそういうことですよね。でもなぜ。年をとること加齢することこそ価値なのだと言えないのか。そもそも人が年をとることは価値ではない。年をとるのが嫌なことだと抵抗感を覚えるのはどうしてなんでしょうか。
隠居とか長老とか呼ばれていた存在はそういうものだったと思います。つまり、知恵そのものです。長生きするということは知恵を所有するこということ以外ではない。だから鶴亀が長生きで、おめでたいことの象徴とされるのは、それだけの意味があったのだと思います。
初めての経験としての青春にワクワクしたように、初めての経験としての老いることに。なぜワクワクしないのか。初めてということはつまり、道ということです
人生を思索するというより、人生それ自体が思索になっていると気がつくことになります。
なぜなら思索することならそれこそそこにいるだけでできるわけだし、道具もいらない、お金もかからないんですから。人間として生まれた事のだいご味ですよ。人間がこの面白さおいしさを知るために生まれてきたのだと、大げさに言えば、そんなふうに感じますね。
そして、思索が美味しくなるのは、人生の果実が熟する晩年に決まっている。時熟という言い方はハイデッガーに見られますがないと言うか、正確だと思います。