船越園子さんのゴルフコラム 朝日新聞 |
「ジュニアのころから海外の試合に出て、世界には1から100まで、いろんな選手がいると知っていた。層が厚いとは、こういうことかと思っていた。だから、アメリカに行く前から、アメリカは甘くないぞ、壁にぶつかるかも、初優勝まで時間がかかるかもって、白分に言いきかせ過ぎたのかもしれない」
渡米前もデビュー後も、宮里は空高くそびえる頂点をいつも見上げていた。当時の彼女には、とてもじゃないけど余裕をもって見渡したり見下ろしたりできなかった。「頂点はものすごく高いところにある。簡単には手が届かない」。そんな先入観が彼女を必要以上に身構えさせた。
しかし、早くあそこへ行かなければと心は焦り、跳びはねたり、よじのばったり。無理な方法で頂点に到達しようと頑張っては、力尽きた。初めて優勝争いに潜み、最終日に崩れて泣いた06年ギン・オープンを皮切りに、幾度も夢見ては落ち、その繰り返しが不調へつながっていった。
「頑張りすぎていたのかな」。あのスランプは心と体から「無理」を払拭する好機となった。いや、宮里自身が好機に変えた。成績も技術も即効性を追求することをやめ、自分の感性を信じてじっくり進み始めたち、頂点につながるハシゴが、見えてきた。時間はかかうても、一段一段昇っていけば∵「いつか、必ず」。その一段のために、どれほどの球を釘ち、どれほどの涙と汗を流もたことか。足かけ4年。ついにハシゴを昇り切り、頂点に立った。「藍ちゃん、見隋らしは、どう?」。お祝いに贈る言葉は、これにしよう。(在米ゴルフジャーナリスト)
私はこちらのほうが賛同できました。
富士山男より