島崎今日子さんのコラム 気づけば家に居場所ないとは |
夫婦と息子と夫の母が暮らす家に、ある日、「ボランティアです」と1人の女性がやってくる。ミチコと名乗るボランティアは、花柄のエプロンをつけておばあちゃんの面倒をみ、家事をこなす。何を頼まれてもにこにこと対応するミチコに最初こそ喜んでいた妻だが、やがてミチコに自分の役割と生活が侵食されていると気づき、愕然とする。が、すでに家に居場所はない。「なんなのよ!あなたは」と怒る妻に、ミチコは「ボランティアです。自分のやりたいことをやっているのです。あなたもそうすれば」と花柄のエプロンを差し出す。妻はミチコと家族に見送られ、家を出る。街には、花柄のエプロrンをつけた主婦″があふれていた--。
ミチコに扮した大竹しのぶの能面のような抑えた演技が不気味さを倍増したことはさておき、わずか2 0分ほどの物語のなかで、「家族」や「主婦」の神話が解体され、rギョッ。それは、「みんなが抱える不満を解消するにはこういう手もあるよ」とも言われているようで、さらにギョッとするのである。
この数日前に放送された「春さらば」 (テレビ東京系)は、優れた脚本と腕のある俳優がぶつかった佳品であった。ここでも、「嫁」には反発しても、訪問介護員にはあっさり心の鍵を外す老女が登場した。「他者」であれば優しく対応できるのに、「家族」となればそうはできなかったり。と、いうことですね。
(ライター・島崎今日子)
私も、珍しく、見ていたのですが、なんとも不気味な奇妙な物語でしした。
目に見える不気味さとしては、その前の作品の方が怖かったですが、大竹扮するボランティアは何かぞっとする感じがしました。