まだ、新しい村が残っていたなんて・・・朝日新聞 |
今も続いているんです。「新しき村」の名に聞き覚えのある人は、脊かれるかもしれません。それは、「仲良きことは美しき哉」の言葉で有名な武者小路実篤が、大正時代に始めた農村共同体。仕事はみんなで分担、余暇はそれぞれ趣味を楽しむ理想郷をめざして90年。高齢化は進むものの、村には静かな時間が流れ続けているんです。(神田剛)
「分担は仕事を早く済ませる方法。そして残った時間は趣味に使う。村のそんなところがいいんです」5年前から暮らす倉敷幸児さんは、最も若い32歳。担当するのは、除草剤を極力使わないコメづくり。村の直販所の人気商品だ。
大学卒業後、進もうとした人形職人の道をあきらめた。そんな時、自然や人生をたたえる実篤の作品に感銘し、村の門をくぐった。村は財団法人の形をとっていて、建物や農機具などの備品はすべて村の所有。
倉敷さんが暮らす8畳と4畳半の家も村のものだ。食事は食堂で、風呂は共同浴場で入る。医療費も負担してもらえるが、97歳を筆頭に、住人の平均年齢は約65歳と高齢化。村の財政も悪化しはじめた。
上下関係はなく、個人費として渡されるお金は月3万5千円と全員一律。他人に命令しないし、されることもない。物事はなんでも許し合いで決める。「新しき村の『新しさ』は、まさにそこだと愚うんです」
松田さんは、にわかに広がった農村ブームのような空気にも懐疑的だ。「即席に考えるのはいかんです。農村に入るなら一生の方向として考えないと。それでも腰をすえてやるという若者なら歓迎です」
今は春から始める養豚の準備に忙しい。これも大正時代、実篤が村でた試みたことの一つだという。
名古屋と金沢を結ぶ、桜道を命を駆けて作った方のドラマに、武者小路実篤さんが出てきていたので、何かの因縁を感じてしまいました。