「下り坂経済」を生き抜く 日経新聞 |
「危機の震源地となった米国は一九三〇年代の大恐慌などを除き基本的に右肩上がりの成長を長く経験してきました。だからいったん下り坂になると弱さが出るように思います。一方、日本は江戸時代に何度も大きな飢饉(ききん)を経て、その後半には低成長や人口減少の時期を長く経験しています。自然の前では人間の力などごく小さく、腹を決めて現実を受け入れるしか
ない。そう考えれば経済が下り坂でも生き抜くことができるはずです」
-しかし成長を放棄して縮小均衡の道を歩めば社会が成り立たなくなりませんか。
「もちろん、みんなが成長を放棄したら国は税金が取れず立ちゆかなくなります。成長を無視して良いわけではありません。でも、みんなが際限ない上昇志向にとらわれるのも問題です。現在の金融危機は『もっと利益を』 『もっとお金を』と際限ない欲望にとらわれてしまったことに原
因があるように見えます」
-具体的にどうすればよいのでしょう。
「江戸時代後期、『下り坂』の時代に発展した古典落語には道具屋や質屋などの商売がたくさん出てきます。江戸の庶民はそれら尊つまく利用しリサイクルしていました。現代の企業会計的に言えば、資産を眠らさず効率的に運用していたともいえます。家が狭くてモノがない中でどう生きていくかという知恵は、今よりはるかに進んでいました」
-当時の庶民の知恵に学ぶべきだと。
「庶民だけではありません。同じ江戸時代後期に農村経営コンサルタントとして活躍した二宮金次郎は、一般的には薪(まき)を背負って歩きながら本を読む銅像が有名で『質素倹約の人』というイメージです。でも、実際は少し違うのです。彼は若くして山を買い、その山で拾った薪を
売ってかなり稼いでいた。彼は『もっと良い生活をしたい』という欲は肯定しました」
「ただ、その欲の上限をはっきりさせる必要があるとして、それを『分度』と呼びました。『分度』のために農地の収量を徹底的に測定し、その収入に応じた生活をするよう指導したのです。むやみに収入を増やそうとするのではなく、収入の範囲で生活の質の向上を考える。現代人にも
参考になるでしょう」
(編集委員 宮田佳幸)
個人的には、このような生き方をせざるを得ないと全く同感ですが、経済をどうするか、そこが問題だとは思います。