途方にくれて人生論 保坂和志著 パートⅢ |
・家でも会社でも、あるいは映画館や居酒屋でも、わたしたちはそれぞれの空間に見合った所作をしている。わたしたちはその所作を「自分の意志でやっている」と思っているけれど、「自分の意志」より前に空間があって、その空間によって意志することの大枠が決められている・・・・言葉を拡張しなければ永遠に語れないのではないか。
・子どもから大人まで、みんな「私が」「私が」になってしまっているが、それは近代末期の一時的な現象なのでないか。問題が膨れ上がったときは、たいていその問題が終るときなのだ。
出口が土地や木の方にあることだけは間違いがない。
・エコロジーという思想は、この自然全体を人間の思い込みによる物差しで測ったり、チャート図に配置することではなくて、自然全体をよく見て、自然それ自体がどういう活動をしているかを知ろうとすることだ。
・・・・・バラやパンジーは鮮やかな色がすぐにぱっと目に飛び込んでくるけれど、桜はそうでなくて少し距離みたいなものがある。その距離がかえって見るときに過去の経験をも呼び寄せて、いま目の前にある桜を見ているのに、それだけでない、いままで見たいくつもの桜を思い出せる、ということがあるのではないか。