「なんでも好奇心」そのもので、広く浅く首をつっこんで来ました。転勤族で、あちこちを30年以上放浪の末、自ら?リストラして、現在は大阪に居住してます!しなやかに生きたい!
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# by nandemokoukisin | 2017-04-30 10:56 | 読書ヒストリー  | Comments(0)
2017年 04月 30日

シルバーデモクラシー 寺島実郎著

団塊の世代の一人として、心が痛む指摘が随所にあります。
<抜き書き>
・人口の四割を高齢者が占めるということは、有権者人口の五割、また若者の投票率が低いままだと、有効投票の六割をしめるということを意味する。「老人の、老人による、老人のための政治」が苦笑いでは、済まされない状況に我々は向き合っていかなければいけない。
・国民医療費の総額がすでに40兆円を超して、その六割が高齢者に使われているわけであるが、・・・病気にならない生き方を支えるプラットフォームを社会的に想像していくことが重要になるであろう。
団塊の世代のひとつの個性、特色として、私自身が見つめていたのが、「経済主義への傾斜」と「ミーイズムという私生活主義」であるが、この行き着いた先が、「株高・マネーゲーム資本主義」に対すす拍手ということで終わるならば、あまりにも悲しい自己保身でまり、生活保守主義への堕落ではないだろうか
・問題は、都会の高齢者
・「農業の安楽死」再考
やがて日本人は「食と農」に関われることが幸福の要素であり、そうした参画の仕組みを通じた社会との接点の拡大が、シルバー・デモクラシーの質を高めることに気づくであろう、「食と農」を至近距離に引き寄せる社会システムを実現することが、高齢者に安定した豊穣な人生をもたらし、日本の産業構造を一段と重心の低いものにするであろう。
・社会参加し、貢献する意思と代議制民主主義を練磨する意思が、迫りくる異次元の高齢化社会を空疎なものとしない基盤である。

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# by nandemokoukisin | 2017-04-30 09:55 | Comments(0)
2017年 04月 29日

中国の仲介局面打開のカギ 南山大学教授(現代朝鮮論) 平岩 俊司さん

各国の思惑があって難しいですね。北朝鮮こそ、小国の辛さ、あらゆる生存策をねらなければならない。それが、尋常じゃないというところでしょうか?
・・・・・・・・・
 米国のトランプ政権はシリアの基地を攻撃し、アフガニスタンで大規模爆風爆弾(MOAB)を使用しました。朝鮮半島近海に空母カールビンソンを派遣し圧力を強めています。こうした中、北朝鮮は、核実験やICBMの発射実験に慎重です。
 とはいえ北朝鮮にとって核兵器を小型化し、ミサイルの精度を高めることは必要です・今月は故金日成主席の誕生日や人民軍創建など記念日が相次ぎましたが、それとは関係なく、今後も核やミサイルの実験の機会を狙うでしょう。
 北朝鮮は、こうした「力」を背景に米国と交渉し、朝鮮戦争の休戦協定(1953年)を平和協定にかえ、戦争状態を終わらせることを求めている。北朝鮮を攻撃し体制崩壊させることはしないという保障を米国から得るためです
最高人民会議(国会に相当)は今月、外交委員会を復活させ、軍事的な対決一辺倒ではありません。
 朝鮮半島をめぐる緊張は過去にもありました。今回の危うさは、不確定要素として、金正恩政権に加え、米国にトランプ政権が登場したこと。双方が相手の出方を読み誤ることが懸念されます。
 例えば、金政権が、米国が攻撃してこないだろうと考えて核実験をする。あるいはトランプ政権が、体制崩壊ではなく非核化のために攻撃を加えても、北朝鮮は反撃してこないと判断してしまう。
いずれの場合も軍事衝突につながる恐れがあります。
 局面打開のカギを握るのは中国です。03年1月に北朝鮮がNPT(核不拡散条約)から脱退を宣言し、核問題が持ち上がりました。
3月にブッシュ米政権が、「単独主義」でイラクを攻撃。衝撃を受けた中国が仲介に乗り出し、米中朝の3者協議をへて8月に6者協議が始まったプロセスが参考になります。今年2月には、中国が北朝鮮産の石炭の輸入を全面的に停止するなど、やっと重い腰を上げました。中国が米朝を仲介し、話し合いに持ち込もうとする動きが出てくるかもしれません。
 中期関係の歴史をさかのぼれば、中国は朝鮮戦争(1950〜53)で同じ社会主義国の隣国である北朝鮮が苦境に陥ったため「人民志願軍」を送り、ともに米国と戦いました。「血で結ばれた同盟」とされるゆえんで、61年には「中朝友好協力相互援助条約」を締結。戦争の際には、直ちに軍事その他の援助をするという「自動介入条項」があります。しかし、92年に中国と韓国が国交を樹立し、中国が朝鮮半島の紛争に即座に介入する可能性は低くなりました。
 金正恩氏は11年12月に権力を継いでから中国を訪れたことはなく、関係は冷えています。とはいえ、韓国には2万8千人余りの米軍が駐留しており、中国は緩衝地帯である北朝鮮を締め上げて崩壊させることは絶対にしません。中国は、核実験に際して北朝鮮を強く批判する一方、米国や日本、韓国などには冷静に対処し、話し合いで解決せよという立場を繰り返す。北朝鮮もそれを見越してミサイルや核実験を繰り返す。根本的解決の難しさがそこにあります。
 ロシアというプレーヤーもいます。中朝関係が冷え込めば、北朝鮮は、天然ガスなど資源が豊かなロシアとの関係強化に乗り出すでしょう。米国と対立するロシアも、北朝鮮問題をカードとして国際的な発言を強めたい。ウラジオストクと北朝鮮の羅津港を結ぶ定期航路が新設されるという報道もあり、制裁の抜け穴となります。
 来月9日の韓国大統領選挙は、文在寅候補の勝利が有力視されている。文氏は朝鮮半島の安全保障に関し、韓国がイニシアチブを発揮すべきだと考え、金政権に直接働きかけるでしょう。日米韓の足並みが乱れます。北朝鮮もそれを期待しており、新たな局面が生まれるかもしれません。(聞き手・桜井泉)

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# by nandemokoukisin | 2017-04-29 08:59 | Comments(0)
2017年 04月 29日

いわせてもらお 2017/04/29 朝日新聞

 ◎こっちを向かないで
 シェーバーを買いに、夫(68)と近所にある家電量販店に行った時のこと,先に声をかけたのが私だったからか、店員さんの説明はもっぱら私へ。「使うのは夫なので」と言ったら、やっと夫の方を向いてくれました。
 (東京都新宿区・私にもヒゲがあったのかしら・67歳)

 ◎予想外の切り返し
 近所の養鶏場に、電話で卵の予約注文を入れた。明日の午前中に取りに行く旨を伝えると、ご年配だと思われる女性から「午前中は無理ですよ、まだ卵を産んでいる最中なんだから。おたくだって朝起きてすぐには働かないでしょ」と言われてしまった。
(東京都府中市・ニワトリと一諸にされた・68歳)

 ◎なりきり名人?
 おしゃべり盛りの2歳の孫に電話で一生懸命話しかけても、なぜか無反感。心配していると「あっ、しゃべらないロボツトに変わってます!」とママ。テレビ電話に切り替えた映像を見ると、怖い顔をして、ひざを曲げずにゆっくり歩き回る孫が映っていた。
 (静岡県三島市・なりきり名人?・64歳)

 ◎ランニングホームラン
 午後の散歩中、広場で散人の小学生が野球をしていた。ヒットを打って走る仲間に、次打者が「二塁までいける!三塁も!」と大声で指示。なんと最後は「四塁へ!」と手をぐるぐる回していた。
 (神奈川県秦野市・ホームベースは何塁だっけ・77歳)

 ◎愛読書
 妹と一緒に我が家へお泊まりに来た小学5年の孫が、夕食後にテレビを見ながら真剣に本を読んでいる。何を読んでいるのか確認してみると、佐藤愛子著「九十歳。何がめでたい」。家内(67)が買ったまま積んでいた本だった。
 (三重県桑名市・いくら何でも先を見すぎでは?・74織)

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# by nandemokoukisin | 2017-04-29 08:21 | Comments(0)
2017年 04月 28日

自作の小屋で暮らそう 高村友也 Bライフの楽しみ

この方の本は二冊めですが、面白いです、最初に読んだのは「スモールハウス」で、こちらが先に書かれた本でしたが、絶版で読めませんでした。
<抜き書き>
・後は、一生寝転がっていても誰にも文句を言われない正真正銘の自分の土地と、ちょっとした小屋、それにふかふかの布団とお気に入りの本、おまけにインターネットでもできるような設備があれば…。大体こんな妄想がBライフの入り口である。Bライフとは安い土地でも買って適当に家でも建てて、住んじゃおうという言ってしまえばそれだけのライフスタイルだ。
・「そこ」に帰ってくれば最低限の生活が保証されている、でも最低限だから維持費なんて全然かからない、そんな自分だけの安全地帯を、低予算で、しかも完全に独力で構築する。金もない技術もない、知識もない、協力者もいない、そんな人でも、素人業の積み重ねで何とかそれらしいものを作って、なんだかんだで生活していく。
・一番しっくりくるのはBASICのBだと思う。つまり、必要最低限の生活
・豊かな国・時代であえて行く最低生活の水準を保つことで、周囲との間に局所的な貨幣価値の落差を生み出すが、Bライフの旨味とも言える。
・横になって寝るだけなのに、次に何万円も払って部屋を借りるなんて正気の沙汰ではないと思っていた。後は、段ボールを定置しても誰かが文句を言ってこさえしなければ良かった。ところがそんな都合の良い場所はあるはずもあるはずがなかった。
・(土地を手に入れて)テントだろうがなんだろうが、そこに10年でも100年でも寝転がっていられると思うと嬉しかった。
・家が完成し、生活のリズムができてくると、「そういえば電気なんてものがあったな」と思い出すようになった。
・電気に関しては、特別な装置を使わなくても、普通の電器店で簡単に取り外しができるように施行してもらえる。
・結局300ワットほどの小型太陽光発電システムを自作し、そのこじんまりとした電力の範囲でできることを楽しむことになった。
・こういうミニマムの設備は、なぜかすごく落ち着く。必要なものがちゃんとあると言う安心感よりも、必要でないものがない、必要以上のものがないと言う平穏のほうがずっと大きい。
・トイレーコンポストトイレを自作
・冷蔵設備冷蔵庫はなくても大丈夫
米、顔面、味噌、醤油などの主要食物は、季節を問わない万能選手だから、冷蔵庫がないからといって埋まることは絶対にない。
・気温と室調ー夏よりも冬の方が住みやすい。わが家の場合も、多少不便の生活をしているといえども、圧倒的に冬の方が住みやすい。多くの動物が生きられない世の中で、文明の恩恵に預かって巧みに暖をとりつつ、食べ物は外部から調達する方が住みやすいと言うことである。
・食と健康の関係ほど不明瞭なものはない。現代科学の粋を集めてもせいぜい言えるのは何も食べなければ死んでしまうが、米と味噌だけあれば死ぬことはない、この程度だろう。
・コーラが好きだからといって、最初から毎月3,000円をコーラ代に計上して、生活設計の全てを考え、必ず毎日コーラが飲めるように自分自身を制御するとなると、コーラに支配されてしまう。そしていろいろなものに支配されていくと、毎月必要なお金は、5万、10万、20万と膨れ上がり、必要な生活水準を維持するためだけに働くことになり、結果寝転がっていられなくなる。
・鶏が一羽でもいたら野菜くずの処理にも役に立つし、卵も取れてさぞかし楽しいだろうと思うが、同時に毎日の世話の責任をも背負うことになり離れることもできなくなる。・・・・この辺が田舎暮らしではない「Bライフ」のゆえんである。一人暮らしをしている限り、徹底的に身軽でいたい楽しみのための贅沢品な肥大化して、義務としてのしかかってきて愛しいミニマムライフが壊されるようなことになっては、元も子もない
・家が自然に呑み込まれないようせっせと不要なものを外にかき出し、ときには水や食料を運び込んだり、温度を調節したり、筆者は自分が生きるためにやっているつもりだが、実は生きているのは家の方で、筆者はせいぜい体の良い共存者なのではないかと錯覚することもないではない。
衣類は、水でガチャガチャやって汚れの8割を落とし、ちゃんと天日で干せば、Bライフ的には何の問題もない。残りの2割を落とそうとすると、その何倍もの金と労力が必要になる。ありとあらゆるものを常時無菌状態にしておく必要は無い。
・いずれにしても、気兼ねなく生の火を扱って煙を出せるのは、山林の小屋暮らしならではの特権である。これだけでも人里離れた土地を買う価値は十分にある。
・屋根と壁さえあれば暖かく寝られるのに、日本では現代技術の粋を集めた超高級家屋しか売っておらず、それらを買うための借金によって最悪の場合おちおち寝ていられなくなる。この本末転倒とでも言うべき自体が出発点だった。
・みんながBライフ生活したらどうなる?
この問いはいくつかの意味に取れる。これは、労働量を減らす代わりに必要な物的豊かさを放棄するという趣旨のライフスタイルに共通して投げかけられる問いであり、Bライフはその極端な一例であると考えられる。・・・一つは、端的に、税金や年金を払う人がいなくなってしまったら、社会全体の収支が合わなくなるじゃないか、という意味である。少なくとも現在の制度上では、この問いに対する答えは明快で、「すいません、お世話になります」と言うことになる。
・ もしも、日本全体でBライフをして、すべてのことがうまくいくなら、つまり、最低限必要とされる労働量は限りなく減り、生活水準が下がっても、それでも失うは何もなかったとするなら、賢明な諸外国は日本に倣うだろう。これまで人類が得てきたもののうち必要と思われるものを失わずに、あるいはこれから人類が得ていくであろうもののうち必要と思われるものを諦めることなく、全員がBライフを送ることができるだろうか。「みんながBライフをしたらどうなる?」という問いで考えなければならないのはこのことだろう。
・世の中には、理由はよくわからないがそれらを使うと大変にうまくいく道具(工具や機械、言葉や記号などの概念的なツール、あるいは数学、物理の方程式など)がたくさんある。それらには先人たちの努力・試行錯誤の恩恵が詰まっている。それらが力を持ったものであればあるほど、ふとした瞬間に、それらの道具の中に自分がいて巧妙に使いこなしたり従ったりできていると言う事実が不思議に思えてくる。その最たるものが家だ。
・自分は家の歴史を共有している。だからこそ、その家は自分にとって唯一無二の特別な存在であり、それを筆者は「愛着」と呼んでいる。
・多少の経済的なハンデを背負ってでも、一人で一から作れば、わかっていることとわかっていないことがはっきりして、わかっていないのに分かったフリをしないといけなかったりすることもなく、自分に嘘つく必要もない。・・・・・ジャストサイズの既製品がなければ、面倒でも不細工でも自分で作るしかない。
・では、その自由であなたは何を生み出したのか、芸術か、発明か、科学技術か、と問われるかもしれないが、「・・・・・のための自由」なんて語義矛盾も甚だしい。何も生み出す必要などはない。ただ生きて、意識があって、自由に考えることができればそれでいい。自由は何かのための道具ではなく、おそらく誰もが知っている単純な欲求である。
更地を前に建造物と生活の想像を膨らませること、それを簡単な道具で一歩一歩実現すること、そして足るを知って暮らせる実感を得ることが、いかなる社会体制や思想的立場をも超えて、平和の礎になるはずである。そのとき、湧き上がってくる昂揚と喜びは普遍的なものであり、時代に左右される泡沫のような価値ではない。その純粋な生の喜びを軸に生きていく事は、決して間違いではないはずだ。
・実際に家を建てる人も、想像して楽しむだけの人も、読者の心が平穏で静謐なものでありますように。未来に開かれた、束縛なきものでありますように。

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# by nandemokoukisin | 2017-04-28 16:12 | 読書ヒストリー  | Comments(0)
2017年 04月 27日

基地問題 本土に甘えはないか 朝日新聞(那覇総局長・上遠野郷)

 沖縄は問い続けてきた。広大な嘉手納基地など海兵隊以外の負担も十分しているのに、なぜ基地をもっと減らせないのか。海兵隊の拠点は西太平洋のどこでもいいはずなのに、なぜ「県内移設」なのか?。
 沖縄にいる海兵隊は1万5千人とされる。そのうち主力の9千人はグアムヘ移る予定で、沖縄に主に残るのは司令部と、人道支援が主任務の小規模な部隊だ。この部隊は、西太平洋や東南アジアを巡回している。沖縄には数カ月単位でいない。辺野古の海を埋め立てて造るのは、そういう部隊を運ぶオスプレイのための基地だ。
 だから「沖縄は地政学的に優位」「海兵隊は重要な抑止力」と政府が繰り返しても、沖縄県民の多くは納得できない。最近の安倍政権は「辺野古が唯一の解決策」と、説明すら放棄したようにも映る。
 ネット上では「反対運動は金のため」「中国の工作」といったデマが飛び交い、テレビでも同じようなことが言われるようになった。居直ったかのような政府と、冷ややかな本土の空気。
県民感情は、反発とあきらめの間を揺れる。
 沖縄が日本に復帰して、5月で45年。「沖縄に基地を負担させて、日米関係を安定させる」という日米安保体制の基本構造は、ずっと変わっていない。
 工事を止められない翁長雄志知事には「公約を守れていない」と厳しい声が上がり始めている。埋め立てが道めば、求心力は落ちていくのかもしれない。だが知事の「沖縄が本土に甘えているのか、本土が沖縄に甘えているのか」という言葉は、私たちを深く突き刺し続けるだろう。

 北朝鮮とまともに、話し合いを設けないで、挑発、挑発と言っているが、この状態を保ちたい各国の思惑があるのでは、なかろうか?最近、そう思うようになって来た!!
 サンデー毎日の記事には、そのことが掲載されていた。
 日本政府に取っても、この安保法制を望む世論を作るには、絶好の機会になる。アメリカの軍需産業には、好環境が維持される。中国にとっても、ある意味では、いまの状況が好ましいとも言える。
          

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# by nandemokoukisin | 2017-04-27 22:16 | Comments(0)
2017年 04月 26日

いわせてもらお 2017/04/22 朝日新聞

今一の感じは、否めない。しいて言えば、用意周到かな?
・・・・・・
 ◎限界集落の女たち
 近所の一人暮らしの女性(82)と立ち話。1時間半ほど話した後、彼女は「よくしゃべったわあ。これで3日間はしゃべらんでいい」と言い帰って行った。翌日、彼女は別の一人暮らしの女性(80)と話し込んでいた。
 (岡山県総社市・60代は若手・60歳)

 ◎家計調査
 思いがけず総務省の「家計調査」の対象となり、「庶民の暮らしの苦しさを知らせるチャンス!」と意気込んだ。レシートを毎日せっせと転記していたところ「ランジェリーピンチ」という文字が。「どんなピンチ……?」と不審に思ったが、「洗濯ばさみ」を買ったと思い出した。
 (前橋市・家計ピンチ・49歳)

 ◎次は「L」?
 次の元号は何だろうね、と家族で話していたら、次女(7)が「元号ってなに?」と聞いてきた。「平成とか昭和、大正、明治のことだよ」と教えたら「あ、他にも知ってる、ロッテだよね!」。
 (横浜市・娘はチョコ大好き・41歳)

 ◎オレオレ……?
 娘(38)に送金するために郵便局に行ったが、「高額なので警察に来てもらうから待ってください」と局員。警察への電話を聞いていたら「70代の女性が……」という。「まだ60代ですっ!」と心の中で突っ込んだ。
 (北海道函館市・時代ですね・68歳)

 ◎用意周到
 祖母は生前「遺影はこれを使って」と、60歳のときに撮った写真を用意していた。しかし、亡くなったのは105歳。子ども、おい、めい、みな70、80代で、遺影より老けていた。
 (愛知県春日井市・しかも色つきサングラス姿だった・49歳)

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# by nandemokoukisin | 2017-04-26 15:39 | たまにはジョーク | Comments(0)
2017年 04月 19日

「ひとり」の哲学 山折哲雄著

正直に言うと主題が、良く理解できませんでした。
なぜ、親鸞、道元、日蓮がひとりなのか、
そして、親鸞は、もっとよく勉強する必要はあるとおもいました。
<帯より>
孤独でなぜ悪い、親鸞、道元
日蓮などに学ぶ「ひとりの覚悟」とは
窒息しそうな「個」の壁を破り、広々とした「ひとり」の世界に飛び出してこないか、そんな思いをこめて私はこの本を書いた。
<抜き書き>
・ところがその間に気がついてみると、ひとりで生きると言う意識が、我々の間からしだいに消え失せていったようだ。ひとりで事を処する、と言う心構えのようなものが希薄になっていた。
・人口減少時代がやってくれば、ひとりで生きる。ひとりで生きるほかない領域が、空間的にも時間的にも自然に広がってきているはずなのに、そのことを誰も感じていないようだ。ひとりで生きる挑戦の時がやってきている、とはいぜんとして誰の念頭にも浮かばないようだ。それでは、その「ひとり」の原像をわれわれは一体どこに求めたら良いのだろうか。
・ ひとりと いう大和言葉はすでに「万葉集」や「源氏物語」以来千年の歴史を持っている。その中で時代を転換させるほどの画期的な「ひとり」の意味を発見したのは、これから述べるように親鸞であると私は考えてきた。
・阿弥陀如来は、確かに万人救済の誓いをお立てになった。けれどもそれを他人ごととして受け止めるのではない、自分のこととして考え直す時、その誓いが初めて自分ひとりのために向けられたものだと分かった、親鸞はそう言っている。自分というひとりは万人の中のひとりである。いわば、そのひとりは万人の中にはに紛れ込んでいる。しかしそのひとりの自分が、ふと絶対の救済仏に向き合った時、阿弥陀如来のまなざしが自分ひとりだけに向けられていることに気づく。気づいて戦慄する。
・十三世紀の 親鸞を筆頭に、道元、日蓮と続くひとりの哲学の系譜が独自の光を放っているからである。そしてその前後の時期に登場する法然と一遍の存在の重要性に着目しないわけにはいかなかったからだ。それが私の直感的な結論だった。
・阿弥陀如来の誓いは、
大海原に、わが身を浄土に渡してくれる大船
落日の輝きこそ、
その如来が放つ救済の光 教行信証の冒頭
・泣いても笑っても、もう俗人でもなければ坊主でもない、そう言っている。その後に言葉としては残してはいないけれども、ただの歌詠さ、どういう自嘲めいた吐息も漏らしていたかもしれない。漢詩のころもを着けようと、和歌の形を借りようと変わりはないさ、そんな軽みがかれのからだにしみついている。草ぼうぼうの庵に逼塞するひとり住まいが、そんな風を吹かせている。
・坊主の格好はしているけれども、実は煩悩まみれ俗人を装いながら、せめて髪だけは剃っている。これなども良寛風に言えば芭蕉における「非俗非沙門」の告白といっていいだろう。
・ ひとりの風にふかれて歩み去る「非僧非俗」の行き着くさきが、そのようなこの世の岸辺であったことは、やはり記憶にとどめておいていいのではないだろうか。
・ー良寛よ、あなたはここまで自分を追い詰めなければ、安心できなかったのか。良寛は乞食の食べ残した物を食った。腐りかけた水を飲んだ。それでも彼の精神の飢えは収まらなかった。五合庵はその饑渇の幻のように私の前に立っていた。私は思わず涙を流した。(露草の青より)
・良寛は、自己を意識の極限まで追い詰めていた近代人だったと、私も思わないわけにはいかない。けれども良寛は同時に、意識の極限まで自己を追い詰めていた先に、五合庵の生活という、いってみれば中世の岩盤の上に立つ自己をわがものにしようとしていた。中世人の生活基盤を手放そうなどとは考えてもいなかったのではないだろうか。
・良寛は先にもいったように、禅門に入って僧衣をまとい、出家僧の姿になったが、村の生活の中で村人を相手に暮らしを立てているときは、「非僧非俗」の親鸞スタイルに憧れていたようだ。聖の伝統と言っていい。僧か俗かにこだわらない。出家が在家かに引きずられない、自在な「ひとり」がそこにいる。
・そしておそらく、このような無の哲学を原理的に考えようとした最初の人間が、わが国では道元だった。彼はたった一人で座り、座り続けて、そこそのことを極めようとしていたように私は思う。道元こそ、まさに無の哲学の創始者と呼ぶのにふさわしい人間だった。
・仏道を学習するとは、おのれ自身を学習することだ。おのれ自身を学習するとは、おのれ自身のことをすっぱり忘れ去ることだ。おのれ自身を忘れ去ることができれば、眼前の全世界が、ありのままの姿で立ちあらわれてくる。道元はそう言い切っている。
禅の本来の価値観は、たんなる空無の信仰や哲学の中にあったのではないのかもしれない。それは人間の苦しみを解除する治癒の中の教えであって、いわゆる宗教や哲学とは別の次元に属する実践的な生き方そのものではないかとも考えられる。それがもしかすると「個人主義」から「ひとり」の哲学に誘導する機縁になるのかもしれない
・一遍こそ、「知恵第一の法然房」が扉を開いた「軸の時代」を、最後最後にそれを絞り上げるような姿で生きた人間だったような気がしてならない。彼は、「軸の思想」の純粋な果実を後世に伝えるためにこそ生きた最終ランナーのような証人だったのではないか。
・しかしよくよく考えれば、そもそも人生の初めから、そのような歌の世界、詩の宇宙をめざしていたのが一遍だったことに気づく。彼は天に向かって歌うように念仏を唱え、地に向かって念仏の声を上げて、その中に生きようとした。気がついたとき、彼はあらゆるものを捨てていた。頭の中につめこまれていたもの、体の中に染みついていたものを捨て始めていた。法然や親鸞が葛藤し、格闘していたものを、惜しげもなく捨てていた
・捨てることから再出発しようとしたのではない。そもそも捨てることから出発していた。捨てることで、人間の中に、社会の中に入っていこうとしていたのだ
・橋をかけ井戸を掘り、ときに死者の遺体を葬って供養するのが仕事だった。民間を歩く市聖、人々の魂を看取る阿弥陀聖として尊ばれたのである。風雪に耐えて生きた空也が、そこにいる。その遊行漂泊する空也の体を、年輪を経た獣皮が柔らかく押し包んでいる。上人にとって獣皮へのの同化こそが、山川草木への同化の第一歩だったのだろう。空也が空也聖になる道程を、そのどうかへの意志がそれとなく表している。
・空也上人像の、法悦のまなざしを宙に向けた、恍惚の表情とはまるで違う。平安時代の浄土憧憬と、室町乱世の浄土希求の差か‥。そうは言うものの、腰から脚部への鍛え抜かれた肉体の線は、空也像のカモシカのようにしなやかな体の動きと、そっくりそのままだ。とりわけ法衣の裾からぬっと突き出た両脚の、筋肉が盛り上がる骨っぽい生々しさは、大地をふみしめる鋼のような両足先の太い十本の指としっかりつながっている。
「生ぜしもひとりなり、死するもひとり。されば人と共に住するともひとりなり、そひはつべき人なき故なり」人間は生まれたのもひとり、死ぬのもひとり。人と一緒に住んでいても実は一人なのだ、最後まで一緒にいてくれる人はいないのだから。
・漱石や啄木の時代が、すでに「ひとり」の哲学を喪失していく危機にさらされていたことがわかるだろう。
・思い返すば、戦後のわれわれは個、個の自立というコトバをよく口にしていた。個性、個性の尊重と異口同音に話題にしてきた。だが、その結果、どういうことになったか。右見ても左を見ても自己愛の子がまんえんし、孤独の個の暴走する姿が巷にあふれるようになっていた。
・ふと、気がつく。そもそも横並び平等主義は、その比較のほこさきを野球のイチローや相撲の白鵬に向けることはまずない。それはいつも身近な閉鎖空間へと監視の眼を光らせている。それがいつの間にか個の自立、個性の尊重という観念を空洞化させていった。人間関係の網の目をズタズタに引き裂いてしまったのである。
・だが、そもそも想定外に起こるであろう災害の可能性をゼロにすることなどできないのも誰の目にも明らかだ。
・どうしたらいいのか。解答はどう考えても1つしか見つからない、つまりこの我々の世界で発生する事は、すべて「想定内」と受け止めるほかないと言うことだ。これこそが、この災害列島に生き続けてきた日本人が身に付けてきた覚悟であり、人生の知恵だったと思う。
・あらためて思うのであるが、今われわれは「挽歌」の季節を迎えているのかもしれない。挽歌とは、もともと死者というよりも、死者の魂に向かって語りかける心の叫びであった。それが古代万葉人の作法であり、先祖たちの日常における暮らしのモラルだった。それを今日の我々の社会は「終活」といった軽薄な言葉で呼ぶようになっしまった。
・戦後の論壇を賑やかに飾った二冊の名著(「甘え」「タテ社会の人間関係」のこのような盛衰を見るとき、一方で土居氏のいいう「甘い」に基づく二者関係がもろくも崩れ去り、他方の「タテ社会」の構造だけが今日の強靭な持続力を持ち続けている光景が見えてくる。
・窒息しそうな「個」の壁を破り、広々とした「ひとり」の世界に飛び出してこないか、そんな思いをこめて私はこの本を書いてきたのである。
・繰り返して言えば、軸の思想家たちがそれぞれ「個」として自立し、「ひとり」で生きていく確固たる基盤に立つことのできる人間たちだった。「個」として自立することと、「ひとり」で生きていく覚悟は、決して矛盾するものではなかった。ましていわんや対立するものではなかった。
しかしながらその「ひとり」で生き、そして死んでいく「こころ」の居場所が今や至るところで揺らぎ始めている。「こころ」の居場所が揺れていれば、「ひとり」という存在の座標が定まるはずはないだろう
・ひとりで立つのは、垂直に広がる天地の軸を背景に、その中心に己の魂を刻み込んで生きるのである。
暗くなれば、酒が欠かせない。チビリチビリ、飲む。ゆっくり、ひたすら飲む。ほとんど中毒である。アルコール依存症なのだろう。ただ、量はいかない。せいぜい一合から二合・・・。それを、チビリチビリやる。・・・・
夜九時を過ぎる頃になれば、ひとり酒も終焉を迎える。深沈とした夜の闇が、体の中に溶け込んでくる。さぁ、これから死ぬか、と掛け声をかけ、そのままベッドに転がりこむ


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# by nandemokoukisin | 2017-04-19 23:35 | 読書ヒストリー  | Comments(0)
2017年 04月 17日

プロフェッショナル 孤高の猟師 命をかけたヒグマの追跡

一発で仕留める、苦しめない。
苦しめなければ、肉もうまい

動物が可哀想という人がいる
その人には、牛や豚や、鳥を食わないのかと言う
一番、嫌なところを見てない

ヒグマ狙い
怖くないですか?
怖いですよ!

自然に溶け込む、
休憩しながら、周りを見ながら、殺気を消す

雪が降れば、
足跡が追える

長女は、
美味しかったクマカレー、指をしゃぶりながら、うまかったですよ
クマのほうが能力あるって
クマにやられるのは、自分の落ち度なんですよ
どうしようもないんです

鳥がいれば、魚がいる、そこにクマが来る可能性は高いんです

たった一人の
猟と狩とは違う
安全を確保しながらやるのは、平等ではない
最後まで責任を果たさないと、看取ってやる
独りでやるほうが、自ずと変わってくると思いますね
いいか、わるいかというとこではなくて、
それが私の方針
命への畏敬

冬眠に入って
自然には、抗わない、
それが、猟師久保の生き方だ!

あるがままをある程度受け入れていく
欲、欲、欲になってしまう
どこまで、受け入れていくか、それがプロフェッショナル





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# by nandemokoukisin | 2017-04-17 23:18 | Comments(0)